◆7月15日(木) 立正佼成会京都教会で講演
その時の教会長であった渡邉啓至師とは以来ずっと年賀状のやりとりがあり、渡邉師は今や本部の総務局へ栄転され、私が永観堂へ入山した時もわざわざ東京からお祝いに来て下さいました。
宗派は違っても仏法のご縁は深いものです。このたび中村教会長さんのご依頼があり、お盆法要の記念講演に出講しました。
300人を越える会員さんは大変熱心に聴講され、笑いと涙のお盆にちなんだ命の法話に「善縁をいただいた」との熱いお礼状を中村教会長さんからいただきました。
よい法縁を結ばせていただいたことに感謝あるのみ。


◆7月10日(土) 大覚寺法話の会
毎月50名の方の出席があり、熱心に聴いてくださるので、網干に帰るのが楽しみでもあります。今回も法然上人の一枚起請文についてお話しました。


◆7月9日(金) 良寛遺墨展
良寛さんの没後180年を記念して、遺墨展が開催されているのです。この美術館は良寛の遺墨を多数蒐集していて、その中から50点を展覧してありました。
中でも、六曲二双の「手毬屏風」や、貞心尼に書き与えたといわれている「良寛戒語」などは見ごたえがありました。
私のお目当ては「君看双眼色 不語似無憂」と書かれた二幅一対の軸です。「君看よ双眼の色 語らざれば憂い無きに似たり」と読みます。
「あなた、あの人の眼の色をよくご覧なさい。あの人は何も話さないから憂いなど無いように見えるけれど、実は深い悲しみにじっと耐えているのですよ」
良寛さんの同悲の優しさが満ち溢れた書に、しばらく見入っておりました。
良寛自作の
手毬
同
悲の優しさあふれた書
◆7月8日(木) ボストン美術館展
平日のせいか、予想に反して並ぶことなく入館。宗教画・肖像画・風景画とおおまかにいえば三種に分けられ、私にはやはり印象派のマネー、モネ、コロー、 ゴッホ、セザンヌなどの、おなじみの画家たちの作品に魅せられました。
ゆっくりと鑑賞できましたが、入館者の9割が女性(それもほとんど中年以上)であることに圧倒されました。確かに、女性好みの作品が多かったように思いま す。
京都
市立美術館の正面
レン
ブラントの肖像画 ◆7月3~5日 三派教学講習会
禅林寺のほかに、光明寺、誓願寺の浄土宗西山派の三派が、持ち回りで毎年この時期に開催します。今年は禅林寺が当番で、三日間、6人の講師の講義を拝聴し ました。
特に深く印象に残ったのは、「自死遺族の会」の代表・鷹見有紀子さんの講義でした。
年間3万人を越すといわれる自殺者があるこの国の現状と、それに僧侶としてどのように対応し、遺族と向き合っていくか。
鷹見講師のお話は実に具体的で、示唆に富んだ深い内容でした。
同悲する心、それが今求められているのです。
講習会の会場
ス
クリーンを使っての鷹見講師◆7月1日(日) 幼稚園で童話
入園して3ヶ月の3歳児たちも、さすがに行儀よく熱心に聴いてくれます。
「御前さん、おはようございます」という元気な挨拶をしてもらうと、嬉しくなりますね。
ごんべさんの赤ちゃんというゲームと、「かめがもってきた牛」という童話をしました。
30分余りの時間を集中して聞いてくれます。
私にとっても楽しみなひとときです。
園庭で一
緒に体操
この真剣な
表情
この真剣な熱演
床
の上に座って行儀よく聴いてます◆6月29~30日 寺庭婦人研修会
毎年6月のこの時期に一泊二日の研修会が開かれます。
今年は例年より参加者が多く、95名の寺庭婦人の参加がありました。
初めて参加する人は、最初に「得度式」を受けます。おかみそり、という剃度の式を受け、授戒のあと法名を管長から授与されます。
お寺の奥さんであると同時に「沙弥尼」という女性の出家者となるのです。今年は15名の沙弥尼が誕生しました。
宗派の教義やお経の読み方など、実践的な講義を受け、初心者もベテランも真剣な態度で熱心に受講されました。こういう奥様方によって、お寺は支えられて いるのです。
講
義室は満席、熱気が伝わる
朝
の勤行のあとで管長の講話◆6月28日(月) 白雲塾開設
塾生は3名。いずれも本山に住み込みで修行しながら大学に通う「随身」とよばれる青年僧です。原則として毎週月曜の7時から1時間、お経や作法の勉強をい ます。これを「白雲塾」と勝手に呼んでいます。
写真の左は高橋くん。北海道美唄の沼貝寺の出身。大学4年の随身長です。
真ん中は浅見くん。愛知十念寺出身。右は井上くん。兵庫明石の長楽寺出身。
二人とも大学1年でこの4月から随身しています。
今は読経の基礎を学んでいますが、いずれ三部経に挑戦します。
楽しくて、為になる「白雲塾」。入塾者募集中!
高橋随身長
お経の練習
風景◆6月24~25日 法式講究所を聴講
法式というのは、僧侶にとって必須条件である勤行、作法などをいいます。伝統と改革と、伝えていくべきものと、変えていくべきものと。講師も受講生も真剣 に取り組んでいます。
外部から「永観堂の声明や作法は美しい」という評価の声もありますが、そこには内部の相互研鑽の積み重ねがあるからだと思います。
法式講究所
法式講究所◆6月20日(日) 野村別邸の花ショウブ
お屋敷の西門前に花しょうぶが植えられていて、紫を中心に、白、黄など色とりどりに、涼やかに咲いています。朝のウオーキングのたびに、目を楽しませても らっています。
花しょうぶ
花しょうぶ◆6月12日(土) お経と法話の会
2月に本山に入ってからは、なかなか帰ってこれないのでは、と思っていましたが、本山側のよき理解もあって、毎月2,3回は網干に帰っています。
今回は一枚起請文の「四修」についてお話しました。
中でも「恭敬修(くぎょうしゅ)」というのは、仏に生かされる自らの命だけでなく、すべてのいのちに対して敬いの心をもって懇ろに接することの大切さを示 されたものであるという教えです。
命が粗末にされる時代だからこそ、なお重要な教えであると思うのです。
お経
のあとの休憩時間
お
茶とお菓子に話もはずむ◆6月10日(木) 布教講究所で
前にも書いたように、6,7月は僧侶の研修期間なのです。
平成22年度前期の布教講究所が開設され、開講式のあと1時間の講義をしました。
奈良の遷都1300年の年でもあり、奈良をこよなく愛した会津八一師の「南京新唱」と仏法についてお話しました。5人の受講者の法話の実演は、大変聞き応 えがあり、日頃の精進が実った良い法話でありました。
「布教は自らの求道である」。この思いは管長になっても変わりません。
管長の講義
布
教にまじめに取り組む受講生 ◆6月6日(日) 西山の三鈷寺参拝と往生院跡の清掃
法然上人の常随の高弟である善恵房証空上人の御廟があるお寺で、前から一度お参りしたいと思っていたのです。私たち浄土宗西山派の者にとって、最も大切な 派祖上人のご遺跡なのです。
宗派の京都支所の有志が毎年、このお寺にお参りし、さらに上の山中にある証空上人の布教活動の拠点であった「往生院」跡地の清掃をされているので、これ に参加させてもらったのです。
三鈷寺ご住職・大谷祐康上人のご好意で証空上人のお木像と須弥檀下のお墓に参拝。
参加者全員で勤行のあと、往生院跡地まで、かなり険しい山道を登り、休憩を挟んで約3時間、みんなで清掃をしました。住職だけでなく、青年僧、寺庭婦人、 子どもたち力を合わせて、すっかりきれいになりました。
派祖上人へのささやかな報恩行を勤めさせてもらい、大谷ご住職の心づくしの昼食をいただき、身も心も満足して本山に帰りました。
三
鈷寺の派祖上人前に参拝
清掃
を終えて記念写真◆6月5日(土) 大塩・西光寺さんでの結婚式
花嫁が身に着けた白無垢の衣装は、靈雲師の夫人の節美さんが嫁いできたときの衣装であり、昨年、長女の祥子さんがドイツ人の青年ティルマンくんとの婚礼に 着たものでした。
母から娘へ、そして息子の嫁へと着継がれてきた白無垢の打ち掛けだったのです。靈雲師夫妻の幸せな結婚生活を娘に、嫁に引き継いでもらいたいという願いが 感じられて、ほのぼのと心を打つものがありました。
似
合いのカップル・尚哉君と裕美さん
新
郎新婦と両家の両親。おめでとう!◆6月3日(木) 夏安居(げあんご)
現代の各宗の教団でもこの伝統は受け継がれていて、6月の梅雨季になると各種の研修会がおこなわれます。中でも「夏安居」は、伝統に基づき涅槃衣という僧 侶にとって死装束である衣と袈裟を身に着けて宗派の専門の学問を研鑽します。
私も「称名念仏の源流としての往生人・教信沙弥」について発表いたしました。
二日間の張り詰めた雰囲気のなかでの、有意義な夏安居でした。
豊田宗
学院長の発表
聴く
側も真剣そのもの◆5月30日(日) 大原三千院へ
三千院のある大原は天台声明の発祥の地で、呂川・律川という名のあるように古来の仏教音楽である声明が伝承されています。
2時間という長さを感じさせないほど、最初から最後まですべて声明による法要で、その高度な節回しに美しい装束の式衆の作法に思わず聞きほれ、見ほれてお りました。
三千院のご門跡は、ご高齢にもかかわらず、凛とした声量を最後まで崩すことなく、相当な体力と気力を必要とする調声(導師)を勤められました。
学ぶことの多い、美しい法要に参列できたことを嬉しく思っています。
なお、この席で書写山の大樹孝啓長吏にお会いできたことも、嬉しいことでした。
できれば来年もう一度参加したいものです。
緑
に包まれた三千院山門
宝ヶ
池プリンスホテルでの昼食会◆5月29日(土) 花園妙心寺さんの晋山式
それから350年たった今、この二つの寺の住職が同じ年に、京都にあるそれぞれの宗門の管長に就任する、なんて偶然とはいいながら、不思議な因縁です。
このたび、龍門寺から臨済宗妙心寺派第33代管長に就任された河野太通老大師の晋山式が挙行され、妙心寺さんに伺いました。
私の晋山式には全日本仏教会会長としてご列席のうえ、祝辞を述べてくださいました。その返礼も兼ねて1300人の招待客に混じって、初めて禅宗の晋山式に 列席しました。
威儀即仏法といわれるように、威儀を正した緊張感のなかで、河野老大師の朗々と響く香語がのべられ、まことに厳粛な儀式でした。
須弥
檀上の河野老大師
各
宗派の管長と共に列席◆5月28日(金) 法然院のコンサート
ご主人の励ましもあって、左手で描きはじめた絵が評価され、近江につたわる民話をモチーフにした大作を多く残して、35年前に他界されました。35歳でし た。
節子さんの姪の桜子さんがチェンバロを、ご主人のパブロさんがピアノを、これにヴァイオリンが加わって、節子さんの遺作をスクリーンに映しながら、音楽 と映像と語りとの素晴らしいコンサートでした。
法然院さんの滴るような緑に包まれた本堂での「三橋節子オマージュ」。
素敵な初夏の夜でした。
法然院の山門
コン
サートの出演者◆5月24日(月) 比叡山の法然堂へ
法然上人の若い姿の木像がご本尊で、毎年この日、浄土宗西山派の三つの本山が回り持ちで「お誕生法要」を勤めるのです。
たまたま私が管長となった今年、永観堂が当番となり、久我種宗務総長・大野本山部長および二人の録事が同道して、警報のでている雨の中を法然堂に参拝しま した。
来年は法然上人の800回大遠忌を迎えることでもあり、上人に縁の深いこのお堂にお参りできたことは大きな喜びでした。
◆5月23日(日) 真如会の永観堂結集
このたび、私が永観堂管長に就任したことを大層お慶びくださり、会の京都支部が呼びかけて永観堂結集が実現したのです。
場所も40年前とおなじ鶴寿台。70名近い仲間のほとんどが古くからの会員で同窓会のようななごやかな雰囲気の中で、私の話を50分聴いてもらい、その あと紀野先生の講話を拝聴しました。
米寿を過ぎられた先生は多少歩行が不自由になられたとはいえ、相変わらず凛としたお姿で、自らの戦争体験を交えて一言一言をかみ締めるように話されまし た。
晋山式にも出席いただき、このたびのご出講にご縁の深さを痛感した一日でした。
毅
然とした姿で語られる紀野先生
60
数名の仲間も真剣に拝聴◆5月22日(土) 大覚寺の法要にて挨拶
ひさしぶりに懐かしい檀家の方の顔をみて、ホッと安心いたしました。みなさんも安心されたようです。
2ヶ
月ぶりに本堂で挨拶
参詣
の檀家のみなさん◆5月17日(月) 永観堂幼稚園で童話
運動場で体操をしたあと、仏間のあるホールに集まった園児は、この春に入園した3歳児をふくめて165名。ハナハナゲームで緊張を解き、昔話の「ねずみ のすもう」を語りました。
真剣な表情で聞いたり、ときどき大笑いしたり、案じていた3歳児も、すっかり乗ってきました。一番喜んでくれたのは先生たちかもしれません。
今後、毎月1回のペースで童話や紙芝居を語ります。お楽しみに!
3
歳児から年長さんまで全員に童話
聞き入る
園児たち ◆5月13日(日) 比叡山黒谷青龍寺へ
峰道駐車場に集結して黒衣に身を包み、一列に隊列を整え、念仏を唱和しながら坂道を黒谷へ降りていきます。歩くこと約45分。急な坂を降りきったところ に山門がありました。見事に咲き誇る色とりどりの石楠花が一行を迎えてくれました。
青龍寺をお守りしておられるのは、大変かわいらしい二人の尼僧さんでした。
本堂に整列し、約1時間の法要中に岸野支所長さんが法要の目的を文章にした「疏」を読み上げられました。
15 歳にして父の遺言に従い、僧侶になるために比叡山に上られ、やがて立身出世の道を棄て、黒谷の叡空上人のもとに身を投じられ、聖として隠遁者の生活に入ら れ、ついに43歳にして善導大師のご書物に出会われて専修念仏に仏の救いを見出されたいきさつを、心を込めて述べられました。
感動の法要の後、一切経の納められている報恩蔵で礼拝し、二人の庵主さんの美しいご詠歌の声に送られて、青龍寺をあとにしたのです。
よいご縁に会えたことを、心より感謝しています。来年の大遠忌が無事勤められたら、もう一度、感謝のためにお参りしたいと思います。
青龍寺の山門
本
堂前にある「若き法然像」
一
切経を収めた報恩蔵
本
堂のご本尊阿弥陀如来
本
堂前で記念撮影
坂
道を念仏しながら登る◆5月10日(木) 新緑の東山
薫風が吹き抜けると、心は貴族のように豊かになります。
「青嵐に吹かれて、胸を張る日もあれば・・」という坂本冬美さんの歌をくちずさみながら歩いています。
哲
学の道の疎水も若葉色
永
観堂も若葉に包まれて
躑
躅が彩りを添える中門付近
緑に
覆われた哲学の道
◆5月8日(火) お経と法話の会
この日の模様は地元の京都新聞や中外日報という宗教新聞にもカラーで大きく報道されました。責任の重大さを改めてかみしめています。
◆5月5日(祝) 網干の花まつり
こうして浜田・大橋町・垣内・余子浜・大江島・新在家と・各町をリレーして延べ800人以上の子供や大人が参加します。大覚寺では白象行進のあと沖浜の子 供たちに「お釈迦様のお誕生」についてお話し、花御堂の誕生釈迦仏に甘茶を注いでもらいました。
午後は当番寺院である新在家の善慶寺さんで法要があり、インドの民俗音楽の演奏がありましたが、私は出席しないで京都へ戻りました。
花御堂
を乗せた白象
子
供たちに引かれて町を行進
子
ども会の役員さんも大活躍
本
堂で花御堂に甘茶を注ぐ◆5月1~3日 愛知・天然寺授戒会
2・3日は大遠忌記念に授戒会が開筵され、伝戒と説戒の二役を務めました。
8年前に五重会を勤められた時も、勧戒師をつとめました。
このたびは、本山の管長として初めて伝戒師を務めますので、多少の緊張感があります。しかし、60数名の受者は皆さん実に熱心に聴講され、初日5席の説教 を恙なく話すことができました。
最終日には懺悔式・剃度式に続いて正授戒で全員の気分が盛り上がり、感動的な授戒会でした。住職・寺族の皆さん、直檀スタッフの皆さんのチームワークも 抜群で特に若い僧侶の方々の熱のこもった所作は目を見張るものがありました。
短期間ではあるけれど、立派な授戒会が勤まったことを嬉しく思っています。
生
活の中の戒の必要性を説く
天然寺さ
んの正門
時
には笑いも涙もあり
授
戒終わり蓮台で祝福をうける受者
◆4月28日(水) 長谷川等伯展
評判がいいと聞いていたものの、行ってびっくり、待ち時間140分。一度戻って5時過ぎに再度行けば、それでも待ち時間20分。なんとか閉館に間に合っ て、見ることができました。
評判がいいはずで、等伯の作品をよくもこれだけ集めたもの、と感動しました。
精緻で、ときに豪放で、特に最晩年の作品「松林図屏風」は水墨画の頂点を極めたものといわれるだけあって、見事なものでした。
もちろん、禅林寺所蔵の重要文化財「波濤図」は、岩と渦を巻く波濤が斬新な手法で表現されていて、これを見るために出かけた甲斐がありました。


◆4月22日(木) 御忌会
連日、全国各地から多くの参拝があり、23日には自坊の大覚寺から45名の檀家の方々も参拝され、善い法縁にあっていただきました。
いよいよ来年は800回大遠忌です。盛大に勤めたいものです。
導師出座
御影
堂での御忌会法要
◆4月18日(日) 管長晋山式
都ホテルで
の祝宴浄土宗西山禅林寺派管長に2月1日に就任した新管長の晋山式が、18日、総本山禅林寺で挙行されました。以下、中外日報の記事を一部転載します。
当日は前日まで続いた季節外れの寒気が抜け、中西管長の晋薫を寿ぐような快晴に恵まれた。
今春最後の花信風が禅林寺境内に萌え始めた新緑を揺らす中、河野太通全日本仏教会会長をはじめ浄土系教団の役職者、禅林寺派の重役、派内寺院、禅林寺婦人 会、御用達会、檀信徒ら約七百人が法要に参加し、同管長の晋山を祝った。
錫杖と払子を手に法冠・荘厳衣をまとった中西管長は晋山式に先立ち、久我儼昭宗務総長に先導され、式衆や姫路市の自坊・大覚寺総代らと共に門前を行道。
総門前で開門式に臨んだあと宗派重役や永観堂幼稚園の稚児らも加えて境内を参進し、阿弥陀堂に参拝した。続いて御影堂に昇殿して晋山式に臨み、法然上人の 御前で「晋山の䟽」を奉読。さらに満堂の檀信徒らに下化十念を授けた。
挨拶に立った中西管長は、来年に大遠忌を控える時期の晋山に、「ありがたさとともに、責任の重大さを感じ、身の震える思いだ。また、これほど多くの方が 祝って下さることに、仏縁の尊さとご恩の深さをしみじみと感じている」と謝辞。
特に師父の中西玄道大覚寺先代住職、これまで指導を受けてきた仏教学者の紀野一義氏と森準玄禅林寺派元管長への感謝を語り、声を詰まらせた。(以下略)
午後の都ホテルでの祝賀会は、京舞井上流の井上八千代五代家元による祝舞に始まり、なごやかな雰囲気の中で盛大に催されました。わが生涯で最大最高の感 動と感謝の一日でした。
総門での開
門式
境内を庭儀式
御影堂で
の晋山式
河
野全日仏会長の祝辞を受ける
◆4月17日(土) 新著「げんれい説法」出版
第1部 げんれいラジオ説法 高齢者放送大学のラジオ講座で放送したものを活字にしました。
第2部 一語一会ミニ説法 本山発行の「みかえり」法話70篇をまとめたもの
第3部 げんれい童話説法 法然上人と西山上人の出会いを描いた童話
以上の3部構成になっています。(白馬社刊)
定価1500円(税込み)購読を希望される方はこのホームページの最後のコーナーを使って申し込んで下さるか、または下記宛にはがきでご連絡くだされば お送りします。

◆4月16日(金) 熱海へ
海辺のおおきなホテルのホールで、全国から集まられた方々に約90分、職場の活性化について、仏教の教えをもとに、主として人間関係の絆の構築についてお 話させていただきました。
百名近い参加者でしたが、皆様大変熱心に聴講してくださいました。IHIは相生に造船所があった関係で、以前はよく講演に招かれたご縁の深い企業です。組 合の田中執行委員長もその当時からの知り合いでした。
ただ、せっかく熱海までいきながら、しかも、豪華な温泉ホテルでありながら、帰途の時間の関係で温泉に入れなかったのが、なにより心残りで残念!
後
楽園ホテルの研修ホールで
聴衆の皆様◆4月13日(火) 観堂上人表葬のため愛知へ
刈谷市の長善寺から檀林祐福寺に晋まれ、昭和63年に総本山禅林寺の管長として5年間、宗門のために尽くされました。平成5年に勇退された後もお元気でご 活躍でした。
私の晋山式にもご出席の予定でしたが、にわかに四大不調となられ、西方に還られました。まことに残念でなりません。
観堂上人は能筆家であるばかりでなく、絵も彫刻も優れた才を発揮され独自の教化活動をされました。浄土宗の二大別時法要である五重・授戒の親教には、わ たしも勧戒・説戒師として随行し、随分親しく教えを受けました。
下の絵は本山のみかえり阿弥陀如来を上人が写仏されたもので、遺弟の丹羽万堂師より形見として頂戴したものです。管長の居室の応接室に掛けて、在りし日 の観堂上人をお偲びもうしております。
観
堂上人筆のみかえり阿弥陀如来◆4月13日(火) 永観堂幼稚園の入園式
永観堂は市内屈指の環境に恵まれた幼稚園です。
仏の子よ。すくすく育て。
総裁とし
ての挨拶
幼
稚園ホールでの入園式
◆4月11日(日) 平安神宮・夜桜コンサート
小雨の中、人も例年より少なく、もう思い残すことがない、というほど夜桜とピアノのコラボに酔いしれました。
桜
にピアノがよく似合う
池
に映って幻想的な眺め ◆4月10~11日 特別伝道隊、京都へ
10日は午前中に上高野の宝幢寺さん(釋真行住職)。4年前にお十夜の説教に伺って二度目のご縁です。見事に整備された境内に目を見張りました。と同時 に 「お掃除も大変であろう」と余計な心配までしてしまいます。サクラの花びら舞い散るなかで、実に気分よくお念仏させていただきました。
午後は幡枝の専修寺さん(岸野亮哲住職)。岸野住職とは30年来、共に本山の仕事をしてきた長年の友であり仲間でもあります。最近になって岸野師がドイ ツ語に堪能であることを知り驚きました。やはり能ある人は才を隠すのですね。
この寺の家族の方々は、音楽や芸術に優れた才を持つ人ばかりです。ご子息の亮 哉師はカメラマンとして活躍中です。
再建された美しい本堂で、立派に法要を営むことができ嬉しく思っています。
11日、10時より市原の恵光寺さん(岸野亮淳住職)で、今回最後のお待ち受け法要でした。
朝の雨も上がり、境内の満開の桜に迎えられ4年ぶりに訪れました。亮淳師は私よりも10才若いのですが、僧侶として同じ道を歩む「同志」であり、気心の通 じ合う仲間でもあります。
昨年11月に檀家の方々を引率してバスで大覚寺へお参りにきてくださいました。
11年前には五重相伝の勧戒師として三日間のお説教をさせていただいたこともあり、ことのほか檀家の方々とは馴染みが深いのです。
法話の会や写経などの行 事はもちろん、本堂でコンサートをしたり、ボランティア活動に地域ぐるみで取り組んだり、その教化活動は目を見張るものがあります。しかも京都支所長とし て宗門行政の一端も荷っておられるのです。
また善いご縁を結ばせていただき感謝いたします。
恵光
寺の役員の皆様と
◆4月10日(土) 二条城の夜桜
ライトに浮かび上がるサクラの妖艶なこと。言葉を失います。
夜桜と琴の演
奏
◆4月9日(水) 特別伝道隊、岐阜へ
今まで教宣部員として法話の担当で参加しましたが、今回から宗派の管長として導師を勤めます。その最初が森準玄上人のお寺であることに深い縁(えにし)を 感じます。
30代から何度も、座禅会のお手伝いや法話の会にお招きいただき、多くのことを学ばせていただいた、私にとって師匠と仰ぐ方でした。本堂横の墓地にある 準玄上人の墓前にお参りし、ご生前の計り知れない厚恩に感謝の念仏を捧げました。
午後の観音院は一夜城で有名な墨俣城のすぐ近くにあるお寺で、住職の井上淳龍師は岐阜県の支所長であり、奥様の兄上は大学の同期生という縁の深いお寺で す。先代の慶龍師にも随分ご指導をいただきました。共に感謝の法要でありました。
◆4月8日(木) 花まつり
永観堂では4月に入ってから「釈迦堂」のまえに花御堂を設置して、拝観の人々にお参りしてもらっています。
京都仏教会が主催される「お釈迦さまをたたえる夕べ」に初めて出席しました。
有馬頼底理事長は「平和を求める仏法には国境はない」と挨拶され、小堀建仁寺派管長の導師のもと法要が営まれ、森清範清水寺貫主に続いて潅仏いたしまし た。
この後、重村智計早稲田大学教授の記念講演があり、各宗派管長や出席の方々との懇親会があり、久しぶりに法隆寺の大野玄妙管長ともお会いして、有意義で 和やかな善い会でありました。
本山
釈迦堂前の花御堂
南
禅寺さんの釈迦堂にも花御堂が◆4月6日(火) 大阪の新入社員研修へ
新大阪の
ホテルで
和尚の講義
◆4月5日(月) 桜だより
京都で生活する幸せを毎朝感じています。
南禅
寺山門と境内の桜
同、南禅寺
の桜
野
村別邸「碧雲荘」の桜
永観堂
の桜と多宝塔◆4月4日(日) 嵐山・西光院さんへ
嵐山の西光院さん(藤賀多聞住職)で10年に1度の「輪番御忌」を勤められました。
ちょうど10年前にこの寺の住職となった藤賀師は、この日を目標に体当たり的な情熱をそそぎ、荒れた寺を見事に復興されたのです。
西行法師ゆかりの寺で、、明治の廃仏毀釈で廃寺になりかけた寺を吸収合併して、本尊を引き取ったために本尊が二体の阿弥陀仏で二尊山と号しているので す。
その年から今年で100年。復興百年記念の法要でもあったのです。
法は人によって広まる、の言葉通り、多聞師の寺院再興にかける情熱が檀家や総代を動かし、地域に根ざす生きた寺院としてよみがえったのです。この法縁に 導師として招かれたことを嬉しく思いました。
輪番御忌法要
門前で記念
撮影
多聞住職と
夜の嵐
山の枝垂れ桜
◆4月3日(土) 大覚寺の法話の会
夕刻、久しぶりに網干に帰り、休む間もなく7時から始めましたが、50名近い方が集まってくださって、なんだか懐かしい思いでした。
法然上人の800回大遠忌を来年4月に控えて、「一枚起請文」をテキストにお話しました。
5月からは毎月第二土曜日、夜7時に予定しています。
なお、電話によるミニミニ法話も再開しました。ただ、今までのように毎週内容を変えることはできません。月に2~3回、大覚寺に帰った時に法話を録音しま す。こちらも、よろしく。
◆3月30日(火) 桜と名残雪
満開の桜と雪景色。この世の浄土さながらの見事な眺めです。
桜
の花と御影堂の大屋根
満開の桜
と御影堂
桜と雪と多宝塔
勅使門も雪
化粧◆3月28日(日) 集団得度式
明年の法然上人八百回大遠忌を記念して、五年ぶりに本山での集団得度式が挙行されました。
僧侶になる儀式の中心は、剃髪と釈尊が制定された十の戒律を授けることです。今回、8歳以上の少年17名と成人女性1名、合計18名の受者でした。
師匠や寺族の見守るなかを、剃刀を受け、十重禁戒を授けられ、無事に沙弥(しゃみ)となり、黒の衣に灰色の袈裟を身につけ、新発意(しんぼち)の誕生で す。
さて、どんなお坊さんとなるのでしょうか。楽しみなことです。
白
衣を着て緊張の面持ち
黒衣と袈
裟を受け
こ
ろもを身につけ
十戒を授
けられる
◆3月26日(金) 天皇・皇后両陛下のご通行を

京都をご訪問中の両陛下が、永観堂のすぐ前にある野村美術館にお成りになりました。
午前11時頃に永観堂前をお通りになり、霊鑑寺に向かわれると連絡があり、総門の前にて御両車のご通過をお見送りいたしました。
ご尊顔うるわしく、手を振ってお応えくださるお姿を、一瞬ではあるが目の当たりにいたしました。玉体安穏ならんことを。
野村美術館
霊鑑寺◆3月26日(金) 少年少女宿泊研修会
全国青年会が発足して間もない頃でした。以来、青年会がこの事業を引き継いで継続してくれていることを嬉しく思います。
久しぶりに、子供たちに「いのち」をテーマに50分の話をしました。小学3年から中学2年まで60人のこどもたち。さて、どのように聞いてくれたでしょ うか。
◆3月24日(水) 大覚寺の御忌会
久しぶりに檀家の方々に元気な姿をみせることができました。
長年、住職として支えてもらった檀家の人々の暖かさを、しみじみと感じたことでした。
◆3月21日(日) 69歳の誕生日
祖母が幼い私によく言っていたのは
「あんたはお彼岸のお中日にうまれたんや。弘法さんのご命日に生まれた子や。大きなって、ええぼんさんになるんやで」
祖母はお浄土で喜んでいるでしょうか。
妻が句会で大津にきていたので、夕刻、京都駅で合流し、いっしょに食事をしました。ささやかな誕生のお祝いでした。
◆3月20日(土) 若王寺神社
哲学の道は永観堂の北の若王寺神社から銀閣寺まで続きます。この若王寺神社は正しくは若王寺熊野神社といい、後白河法皇によって禅林寺の鎮守として勧請 され、イザナギ・イザナミの国生みの神を祭神とする、と書かれています。永観堂に縁の深い神社なのです。
これはお参りしないわけにはいきません。境内には梛(なぎ)の古木があり、桜花苑もあって桜の隠れた名所なのです。
ここにお参りしてから霊鑑寺までが、わたしの哲学の道コースなのです。
早
朝の若王寺恵比寿神社
若王寺◆3月17日(水) 永観堂幼稚園の卒園式
永観堂の幼稚園は市内でも屈指の恵まれた環境のなかにあり、ご本尊「みかえり阿弥陀如来」にいつも見守られています。
そして、ここでは、仏様に手を合わせ、いのちを大切にすることを園の教育の根底にした教育がなされています。
拝む子は、やがて敬われる人となります。
卒園していく仏の子よ。強くあれ。正しくあれ。人の悲しみのわかる人であれ。
そして、身も心も大きく育て。
名誉総
裁として挨拶
幼
稚園ホールでの卒園式◆3月14日(日) 六阿弥陀 功徳日
どれくらい昔からか、というと、今から250年ほど前、木食正禅上人が発願して始められたもので、この功徳日に三年三ヶ月怠らずお参りすれば、無病息災・ 諸願成就し、その功徳まことに大なり、とされています。
一番・真如堂。二番・永観堂。三番・清水寺。四番・安祥院。五番・安養寺。六番・誓願寺。
春彼岸の前の14日。朝から多くの人の参詣があり、午前11時より「みかえり阿弥陀仏」を本尊とする阿弥陀堂で本山役職の僧侶そろって法要を営み、塔婆の 回向をいたしました。
管長として最初の六阿弥陀であり、挨拶をかねて法話をしました。これから毎月ここで法話をします。ぜひお参りください。
みかえ
り阿弥陀如来
白梅
満開の永観堂境内◆3月13~14日 孫来る
親子4人で近くの動物園へ行き、一緒に食事をしたあと、今日から始まった東山花灯篭を見に行きました。
青蓮院から高台寺、清水寺にかけてライトアップされた東山界隈は多くの人で賑わい、風はまだ冷たいけれど、春の到来を感じさせる華やぎでした。それにして も、孫たちのよく歩いたこと。
翌日は映画村で大いに楽しんだようです。爺にも孫にも嬉しい二日間でした。
ラ
イトアップされた知恩院山門
円
山公園の紅枝垂れ桜は蕾固し◆3月10日(水) 新旧管長歓送迎会
1月末日で退山された小木曾前管長様をゲストに、本山役職員全員参加して、なごやかに丸いテーブルを囲んで食事をしつつ歓談しました。
小木曾上人はすこぶるお元気で、本山での生活面でのアドバイスをいろいろいただき、有意義で久しぶりにくつろぐ時間でした。
小
木曾前管長と久我宗務総長
本山役職の
全員 ◆3月3日(水) 早朝ウオーキング・南禅寺
6時の朝の勤行を終えて、作務衣に着替えて約30分歩きます。
Aコースは南禅寺を巡るルートで、歩くには最高のコースです。野村別邸の桜並木を通り南禅寺の大きな山門をくぐり、疎水の流れる水路閣をぬけ、山道を歩い て駒が滝まで歩きます。
釈迦三尊の安置してある法堂にお参りし、東山高校の前を通って永観堂に帰り着きます。
一日の始まりに欠かせぬ日課となりました。
石
川五右衛門がいたという南禅寺山門
滝
の横に祀られた不動明王
方丈の玄関
駒が滝の行場
◆3月2日(火) 管長の居室
来客用の応接間、書斎、茶の間、寝室、浴室、装束の間などがあり、単身赴任には贅沢な間取りです。
茶の間や寝室は床暖房があって、お蔭で快適に生活しています。
和室応接間
テー
ブルのある応接間
仏間兼書斎
洋室の茶の間◆3月1日(月) 各本山を訪ねて
西山派の本山である新京極の誓願寺、長岡京の光明寺、浄土宗の総本山・知恩院はじめ清浄華院、百万遍知恩寺、黒谷金戒光明寺の各大本山、そして清水寺、南 禅寺の9か寺を訪問し、各寺の管長様、宗務総長様にお会いしてご挨拶しましたが、どのご本山でも永観堂の新任管長を暖かく迎えてくださり、和やかに歓談さ せていただきました。
◆2月28日(日) 入山その後
この間、もっとも辛かったのは、加古川・長田寺住職の藤井真修師の遷化でした。
大覚寺法類としてなにかと相談したり、アドバイスを受けたり、信頼できる盟友でしたから、管長として最初の公務が真修師の表葬親教というのは、あまりにも 辛いことでした。
2月13日、長田寺に赴き、真修師に別れを告げてきました。
いずれ浄土でまた逢いましょう。
◆2月10日(水) 入山式
みかえり阿弥陀如来の前で勤行のあと、法然上人を安置する御影堂(みえどう)において入山の式が行われました。
阿弥
陀堂から御影堂へ
御影堂に入堂
道
場を清める洒水(しゃすい)
決
意を述べる表白(ひょうびゃく)
◆2月10日(水) 入山式の朝
ここでも宗派の仲間が大勢見送りに。
さて、いよいよ総本山永観堂禅林寺管長としての旅立ちです。
古稀を迎えた僧侶の第二の人生の始まりです。
姫
路駅で見送りの仲間と
本
山の管長執務室で総代と◆2月8日(月) 徳寿院さんで「励ます会」
多門ご夫妻のご厚情、嬉しく思いました。
合唱でお祝
いを
記念の写真
◆2月7日(日) 引越しの準備
いよいよ単身赴任が始まるのです。
中門前で
◆2月4日(木) 中西新法主を囲む会
会場は姫路駅南のホテル日航。
発起人それぞれからお祝いの言葉を頂いたあと、「みかえり」の心について30分お話し、会食しながらなごやかにフリートーキングとなり、大層盛り上がり ました。5時の開会から3時間があっという間に過ぎ、大盛会に終了。私にとって感動と感謝の「囲む会」でした。
発
起人代表・西田師のご挨拶
石
見姫路市長もお祝いに
み
かえりの心について講話
大
覚寺の渡邉婦人会長から花束◆2月1日(月) 拝請式のあとで
法然上人が遊女を化導されたという言い伝えのある室津の、竹久夢二も逗留した旅館で食事をしながら、本山に赴任してからのことなど、意見を交わしつつなご やかに、ひと時を歓談しました。
それにしても、昼の酒はよく回る!新潟から送ってもらった「久保田」の生原酒のうまかったこと。下戸のいうことだから、まちがいなし?
久
我総長(右)と高谷教学部長
本
山の各部長と大覚寺総代◆1月27日(水) 大遠忌記念法要・愛知大会
この会場は9年まえに、1度講演のために来たことがあります。大学時代の親友の藤井信君が校長をしていた津賀田中学の創立記念日に招かれ、700人ほど の聴衆を前に講話したのですが、大事な大会に招いてくれた藤井校長の友情に感激したものでした。
今回はわたしにとって、大覚寺住職という肩書きでの最後の法話です。短い時間でしたが心を込めて話をさせていただきました。
会
場の名古屋市芸術創造センター
小
木曾管長導師最後の記念法要◆1月18日(月) 初観音会
長年、庫裏の書院で勤めていたのですが、このたび明法殿で始めて初観音会を勤めました。
なごりを惜しまれる檀家の方々とともに、西国の三十三所のご詠歌をこころをこめて唱えました。
最後の挨拶
参詣の人々
◆1月16日(土) かつての教え子
私と一回りの年齢差があり、辰と巳年の者ばかりなので、「辰巳会」と名づけて付き合ってきました。この連中とよく旅行しましたが、どういうわけか、「や」 のつく自由業の会と間違われたりしました。
ひさしぶりに全員そろって私のお祝いにきてくれたのです。言いたいことを遠慮なく言い合うなかに、相手を思いやる優しさもあって、好漢ぞろいの彼ら。
お祝いの品に添えて読み上げてくれた挨拶状は、実に心がこもっていて涙がでそうでした。
45年間のつきあい、ありがとう。
これからも、よろしく。
辰巳会の仲間
◆1月11日(祝) 役員の新年会
これまた恒例の役員新年会を、今年は御津町の海辺の「潮里」さんで行いました。
昨年秋の寺宝展の慰労会と、私の激励会をかねての食事会です。
宴たけなわでカラオケ大会となり、最後に住職夫婦もデュエットする仕儀となりました。
この写真はあまり公開したくないのですが、おそらく二度とこういう機会はなかろうと思うので、恥ずかしい姿を公表する次第。座布団を投げないでください。
乾杯前
の挨拶を聞く
最
初で最後の衣デュエット
◆1月8日(金) 着物の美女軍団来る
色とりどりの晴れ着姿の美男・美女(人数の加減か美男の影が薄い)勢ぞろいでデモンストレーションに、いやいや、お参りに来てくださいました。こういう企 画もいいもんですね。
い
ずれがあやめかきつばた◆1月7日(木) 亮雅と朝の勤行
私のお経に合わせて木魚を叩くのも、かなり上手になりました。6か間の滞在で、明日は長岡に帰ります。
ところで、この亮雅、「天地人」の与六を演じた子ども店長に似ていると、もっぱらの評判です。いかが?
木魚を叩く
与六
妹の
優里も一緒に散歩
◆1月6日(水) 姫路城へ
天気がいいのでお城に行くことに決定。
数十年ぶりに天守閣まで登りました。さすがに世界遺産です。天下の名城です。
時の流れの音と香りがあります。
かつて、この城で青雲の志を抱いた宮本武蔵やその前には黒田勘兵衛、木下藤吉郎がいたのです。池田輝政が築いてからは、本田・榊原・酒井などの譜代大名が 城主となりましたが、一度も戦争をしたことがない、不戦の城なのです。
孫たちと城の中を歩きながら、平和のありがたさをしみじみと感じておりました。
大手門
を入った広場
姫
路城、またの名を白鷺城◆1月3日(日) 神戸で家族新年会
午前中からスケートリンクで初すべりした孫たちと、花鳥苑で合流。
広い建物の中はベゴニアの花でむせかえるような香りにつつまれます。ペンギンやオオハシのほか、たくさんの種類のふくろうやみみずくがいて、こどもだけで なく、大人も楽しめる施設です。
新潟から飛行機でやってきた娘と孫が3人が、ポートピアホテルで合流して、久しぶりに3人の娘と6人の孫が揃いました。
私が本山へ行ってしまうと、当分会えないだろうからと、長岡の両親や主人の行為で、正月の忙しい最中を駆けつけてくれたのです。感謝!
ベゴニ
アに囲まれて
ホ
テルのバイキング会場前で
◆1月2日(土) 仏舎利塔へ初詣
今年は孫たちをつれてお参りしました。
インドのネール首相から送られた仏舎利を奉安する塔を中心に、納骨塔が周囲に四塔あって、さらにその周辺は公園墓地になっています。
市民にとって聖地であり、憩いの場所でもあるのです。
仏舎利塔の
内部
白亜の塔の
前で◆1月2日(土) 初詣の人々
毎年の恒例になっているのです。年毎に小さい家族が増えているのが嬉しいですね。
井上家の人々
◆1月1日(祝) 元旦の修正会
弟子の末吉と二人で本堂にて修正会のお勤めをし、新しい年が始まりました。
「年積むや年々に年の美しき」
数え年でいえば70歳。古稀を迎えました。
今年は管長就任という新たなページへ進むことになります。
「希望に輝く」と胸をはって歩き出したい朝です。
元旦の本堂
境内
に初日が差し込む◆12月29日(火) 新潟の智寧(ともやす)来る
朝6時、早速本堂で勤行です。二人のお経の声と木魚の音がよくマッチして、なかなかのもんです。
栴檀は双葉よりかんばし?爺バカですかね。
老僧と小僧
のお経◆12月26日(土) 朝焼けの空
何百羽の鳥が夜明けを目指し、本堂の真上を海に向かって飛んでいく。
凛とした朝、一日の始まりです。

◆12月25日(金) お寺のクリスマス
近くに住んでいる3人の孫がやってきて、みんなでチョコレートのショートケーキをむつまじく食べました。クリスマスの本来の意味を知らないまま、孫たち はケーキを食べることに喜びを感じているようです。
クリ
スマスはケーキの日◆12月24日(木) 新聞のインタビュー
高校時代の反抗期から、僧侶を志した動機、布教活動のあれこれを問われるままに語りましたが、さて、どんな記事となるやら。1月始めに活字になるのが楽し みですね。
◆12月22日(火) 年賀状を書く
600枚の宛名だけは手書きにこだわっています。わずかな時間でも、住所と名前を書いている時間だけは、その方のことを思いだしているのです。どうやら今 年は珍しく24日までに投函できそうです。
◆12月19日(土) あぼしまち交流館で講演
大正琴によるオープニング演奏のあと、和尚が記念講演をしました。当分、玄禮さんの話が聞けなくなる、というので随分多くの方が聞きに来て下さり、イベン トを盛り上げる役目をはたすことができました。
当日はコンサートあり、凧揚げ会あり、大道芸あり、模擬店あり。メインのカウントダウンの点灯式で、交流館前の公園はイルミネーションで見事に飾られま した。
このイルミネーションは1月11日まで毎晩点灯されます。
交
流館と公園のイルミネーション
あ
かりイベントのポスター
◆12月15日(火) ラジオ放送の録音
与えられたテーマは「六波羅密に学ぶ」。30分の録音を1回で無事終了。
1月17日(日)朝8時30分から全国放送 されます。再放送は1月24日(日)午後6時30分か ら。
いずれもNHKラジオ第2放送「宗教の時 間」で放送されます。ぜひお聞きください。
◆12月14日(月) 龍野そして赤穂へ
たぶん、これが最後となる研修会が龍野の恩徳寺さんでおこなわれました。
相田みつをさんの詩と仏教について講話のあと、本堂で法話の実演。3名の青年僧の法話を聞き、合評します。それにしても、ここ数年の間に格段の上達ぶり です。ぜひ今後も続けて研修してほしいものです。京都へいっても彼らを支援するつもりです。
その夜、赤穂の簡保の宿での忘年会に招待されました。OBの大塚靈雲師、酒見謙伸師も加わって、楽しい宴会となりました。
管長就任のお祝いに、青年会から「デジタル・フォトフレーム」をいただきました。
京都での単身赴任のさみしさを、これで孫の写真を見ながら慰めとしてください、という彼らの涙ぐましい思いやり。ありがとう!
恩
徳寺本堂での法話の練習
赤穂での
忘年会で◆12月13日(日) 龍野の如来寺さんへ
私にとって本年最後、だけでなく大覚寺住職としても最後のお十夜の説教を、無事勤めさせていただきました。鄭重なおもてなしを有難く拝受しました。
新
築の翔鳳閣からの眺め
龍野を
代表する光景◆12月8日(火) 姫路・善導寺へ
現住職の下田英俊は慈戒師の女婿でしたが、私の弟子となってまじめに修行し、今では立派な住職となっています。慈戒師の遺児である慈光君とともに、善導寺 を見事に厳護してくれていることに頼もしさを感じています。
12月8日は釈尊の悟りを開かれた日(成道会)であり、太平洋戦争の始まった日でもあります。心を込めてお十夜のお説教をいたしました。
本堂での説教
この
日出勤の住職方と◆12月4日(金) 本山・永観堂へ参拝
7時に網干を出発し、9時半には本山に到着。休憩後、御影堂にて読経。半年間のお経の練習の甲斐あって、本堂一杯にひろがるほどの声もよく揃い、感激にみ ちたお勤めをさせてもらいました。
網干の西方寺のお弟子である濱野弘胤くんが、本山の職員としていてくれ、彼のお世話で有意義に参拝できました。
嵐山で昼食後、天龍寺とその塔頭である宝厳院に参拝。紅葉のすばらしさに感動しました。
永観堂で
天龍寺で
同・
曹源池の紅葉
宝厳院の紅葉
◆12月1日(火) KCC(神戸新聞文化センター)最終回
最後まで受講していただいた6人と、名残を惜しみつつ法句経の講義を終了しました。
受講生の皆さ
ん◆12月1日(火) 総本山永観堂禅林寺の管長に!
宗派では管長推戴委員会が召集され、不肖私が次期管長に推薦され、受諾いたしました。
もとより、その器でないことは私が一番認識しているのですが、推戴された以上は精一杯精進し、宗門と仏教興隆のためにいささかでも寄与できるよう、努力 するつもりです。
きっと先代の師父がお浄土であきれて、苦笑していることでしょう。「お前が、なあ!]
◆11月29日(日) 京都・恵光寺のお客様
本堂で読経一会。会館に移動してお茶を差し上げ、約1時間の法話を聞いていただきました。
亮淳師は私とは10年の年齢の開きがありますが、長年の友人であり、志を同じくする仲間でもあります。
恵光寺さんには五重会や十夜会にお説教に行ったり、また当寺に来ていただいたりで、檀家の方々とも顔なじみが多いのです。
2時間ほどの滞在で、充分なおもてなしもできなかったことと、デジタルカメラの故障で1枚も写っていなかったことを心からお詫びします。次は京都でお会 いしましょう。
◆11月27日(金) 室津へ
ここに大正のはじめ、竹久夢二が逗留して多くの絵を残しているのです。築数百年の古い民家を移築して、今は割烹料亭になっています。
風情ある部屋から室津の漁港を見ながら、おいしい料理をいただきました。僧侶の役得です。
午後は同じ室津の浄運寺さんのお十夜にお参りしました。法然上人と室津の遊女の逸話で知られるお寺です。ここも先代からの長いおつきあいです。
浄運寺山門
遊女友君の墓
夢
二のギャラリー
夢二の代表作◆11月23日(祝) 神戸・光明寺さんへ
宗派の異なる布教師の話を熱心に聴聞され、真宗門徒のたしなみの良さをしみじみと感じさせられました。よい法縁を結ばせてもらっています。感謝!
光明寺本堂
石谷住職と
母堂 ◆11月23日(祝) 加古川・長田寺さんへ
このところ毎年お十夜にお招きいただき、出講しています。住職の藤井真修師は長年教職についておられましたが、停年退職後は宗派の議員として私の良き仲間 です。
議会では良識派の論客として知られ、私も時々アドバイスを受けています。
郁子夫人は全国寺庭婦人会の会長であり、パソコンも車の運転も一級の腕前で、宗派のトップレディです。夫唱婦随(婦唱夫随?)のご夫婦です。
長田寺本堂で◆11月22日(日) 高砂・利生寺さんの落慶法要
9間四面の総欅造りの本堂は、豪壮かつ堂々たるたたずまいを見せ、150人のかわいいお稚児さんのお練が賑々しく挙行されました。
本堂開扉式
落慶と大
遠忌法要◆11月21日(土) お十夜
プリントを持参され、効果的に読みながら、仏の慈悲の働きについて大変わかりやすくお話してくださいました。また一人、兵庫県に優秀な布教師の誕生です。
夜は、7人の僧侶全員「荘厳衣」という一級装束を身に着けて古式に準じた法要を勤めましたが、お十夜という呼び名にふさわしい勤行です。
また、竹筒にローソクをともした「光の回廊」を実施、参詣の方々に大層喜ばれました。
夜の説教
総
門から本堂までの光の回廊◆11月20日(金) 横内正氏来る
この紋所が目にはいらぬか、という台詞でしられた「水戸黄門」の初代東野栄次郎さんの時の助さん役を演じた横内さん。大覚寺の寺紋である「三つ葉葵」をみ て「懐かしいなあ!」と感じ入っていました。
和尚と同じ昭和16年の生まれで、68歳。最近は映画「沈まぬ太陽」にも出演しています。
約30分対談しましたが、さすがに声のよく響くすぐれた役者さんだと感じました。
「国際グラフ」という雑誌の新年号に、この対談が掲載されます。楽しみですね。
対談終
わって握手
婦
人部の幹事さんと記念写真◆11月18日(水) 姫路経営者協会のセミナーに
一年間、監督者としての心構えや自己啓発に取り組み、最後の締めくくりとして1泊2日の研修の総まとめの講義をしました。お礼状の一部を紹介します。
「一人の人間として日頃から心がけておくべき大切なことにつきまして、たくさんの事例をまじえて、わかりやすくお話いただき、今後に向けて多くの示唆をい ただくことができました。人間としての気づきと自己行動変革を柱とする年間研修会を締めくくる中身の濃いご講演をいただき、本当に有難うございました。」
お役にたてて、なによりでした。
職
種はさまざまでも熱意は同じ
つい話
しに熱が入る ◆11月16日(月) バレー「くるみ割り人形」を鑑賞
さすがは本場のバレーですね。一矢乱れぬ舞台の美しいこと。忙中閑。二時間があっという間に過ぎて夢のようなひとときでした。

◆11月16日(月) 本山永観堂へ
奥山のいわがきもみじちりぬべし 照る日のひかり見るときなくて (古今集)
この地が寺となる前から、ここは紅葉の名所であったようで、ここに閑居していた藤原関雄が詠んだ歌です。贔屓目でなく、たしかに千年の時と人手によって磨 かれた、東山随一の紅葉の名所なのです。
総門
を入ればこの景色
多宝塔を望む
御影堂前
勅使門◆11月15日(日) 加古川・円福寺さんへ
大工さんが基礎から木材にいたる、あらゆる箇所にこだわりぬいて、5年かけて造りあげた本堂だけあって、外部も内部も屋根も柱も床も、すべて一級品で建て られています。
本堂正面に掲げられた寺号額は、現在の知恩院門主・坪井俊暎上人の揮毫になる実に豪華なものです。富永真光住職の悲願が壇信徒の心をゆさぶり、檀家総力 をあげての竣工です。
最初の行事であるお十夜の説教をさせていただき、感謝しています。
ほぼ完成
した本堂
見
事な彫刻の施された寺号額 ◆11月14日(土) 福山城へ
秋空に聳える白亜の天守閣は、白鷺城を見慣れている私にも美しく見えました。菊花展の最中でしたが、お城に菊はよく似合いますね。

◆11月14日(土) 尾道・持光寺さん
法蔵という菩薩が、すべての衆生(いのちあるもの)を救うために五劫という、途方もない長い時間を掛けて考え続けるうちに、髪の毛が異常に伸びてきた、 その修行の様子を頭髪に表現したお姿なのです。
こうして阿弥陀仏となられて私を浄土に迎えてくださる慈悲の働きが、より具体的に示されていて感謝のお念仏を唱えさせていただきました。
境内には、昭和天皇が喜寿を迎えられたとき、中国からお祝いに贈られたという旱蓮木(かんれんぼく)別名「喜樹」という珍しい木が、黄色い花をいっぱい に咲かせていました。
珍しい旱蓮木
本
尊の「五劫思惟の阿弥陀仏」◆11月13日(金) 尾道・宝土寺さん
観音堂をアトリエにして、自作の陶器を並べ、自由に見られるように開放しています。
才能豊かな若い住職の、今後が楽しみです。
史晃師の
アトリエ
本堂
前の巨大なソテツ ◆11月13日(金) 平山郁夫美術館へ
瀬戸内の青い海や緑の島々、豊かな自然の風土が画家・平山郁夫を育てたといわれています。少年時代の作品からシルクロードまでの代表作が常設されていま すが、秋の特別展として「幻想美の世界」を特集して展示してあるのを見たかったのです。
釈迦誕生図や出山釈迦などの幻想的な仏画のほかに、法然上人と善導大師の対面を描いた大作は見ごたえがありました。旧制中学3年の時の広島での被爆体験 が、その後の平山作品の中に平和への祈りとして描かれているのです。
館内のティールームで、おいしいコーヒーとケーキをいただいて、島を後にしました。
美術館の入口
「仏
教伝来」の絵の前で◆11月12日(木) 尾道・光明寺さんへ
30歳半ばでお説教に招かれてから、ほぼ毎年のご縁をいただいてかれこれ35年。ご住職は三か寺とも代替わりして、私より若い方ばかりになりました。しか し、参詣の方は私より年上の人が多く、中には30年来の顔なじみの方もおられるのです。
初日は光明寺さん。隠居された先住さんも、お元気で本堂に出座されていて、そのお姿に接して大変嬉しく思いました。30代の私をご存知の数少ない生き証 人(上人)です。
名松「蟠
龍の松」
市
の天然記念物のシンパク ◆11月11日(水) こころの祭
9時の開場とともに、訪れる人は引きもきらず三々五々雨の中をご来場。遠くは大阪、神戸から近くはお寺の門前から。檀家だけでなく、住職の知人友人をは じめ、「こころの祭」のパンフレットを手にしてこられた人など、平日の悪天にもかかわらず多くの来場者でした。
本堂から庫裏の座敷・書院などを開放して五つの会場に分け、それぞれテーマごとに掛け並べた掛け軸や仏像、信長・秀吉・家康の朱印状など、住職の説明に 耳を傾け、興味深く見入っていました。
会館では茶席を設け、希望者に茶菓を接待しました。100人近い方が新築の会館での茶席を楽しんで下さったようです。
雨の中を来てくださった皆さん、ありがとう。
手伝っていただいた役員の皆さん、ありがとう。お疲れ様でした。
第
二開場は「釈尊と弟子たち」
住
職の解説に聞き入る人々◆11月7日(土) お経と法話の会
槃特さんの絵がテレビに出たのは、ほんの7秒ほどだったので、見ていても気がつかなかった人もあったようです。それでも全国に紹介されたのですから、槃特 さんも喜んでいるでしょう。
12月4日には、この法話の会のメンバーで本山の永観堂へお参りします。参加者は43名。
紅葉が残っておりますように。

◆11月6日(金) 佐用小学校へ
校長の山形一成先生は、以前に御津町教育委員会におられたとき、高齢者大学で何度かお世話になった方です。教頭先生やPTA会長から災害の様子を聞かせ てもらいました。
亡くなられた方々のご冥福を祈り、今も仮設住宅に住んでおられる方や、被害を受けられた方の心が少しでも前向きになるように願いながらお話しました。
校舎の正面に「災害を乗り越えてがんばろう」というスローガンの横断幕が掲げてありました。
佐用小の子どもたち、助け合い支えあって、がんばれ!!
◆10月27日(火) 姫路・文化センターで講演
創業者の鈴木清一さんは、若い頃、山科の一灯園で修行された人です。
修行の一つに、市内の家を訪問して便所掃除をさせてもらう、というのがあり、掃除を通じて主婦の労働が大変なことを知り、掃除の労力を少なくするためにダ スキンを立ち上げたという話はよく知られています。
今回は兵庫県の社員研修に招かれ、200人の方にお話しました。
働く、とは傍(はた)のものを楽にする、という話をしました。
楽屋が控え室
ステー
ジの上で講演 ◆10月25日(日) 神戸・来迎寺さんへ
住職の大西秀明師は今、宗派の全国青年会の会長として活躍中の若手です。先代の誠治師には1年ぶりでお目にかかりましたが、お元気なご様子でした。
昭和33年の3月に、本山で共に加行(けぎょう)を受けた仲間であり、先輩です。組寺の阿弥陀寺住職・澤木師も交えてその頃の懐旧談に花を咲かせました。
◆10月24日(土) 先代の命日
満77歳になる10日前でした。
「先代さんは声のいいお経の上手なひとでしたなあ」とか、「子どものころ、境内で無茶な遊びをして、よく怒られました」とか、「親切にしてもらったこと が忘れられません」などと今でも懐かしく偲んで下さる人があります。
子として嬉しいことですが、いつか先代を越えることができるだろうか、とわが身を反省しています。
子どものころ、よく叱られましたが、「叱ってくれる人がいるうちが花じゃ。誰も叱ってくれなくなれば、どんなに寂しいか」といわれたことばを、今、しみ じみと味わっています。
◆10月23日(金) 母校の教育講演会
今回は、第44期生の小宮淳子さんを講師に招き、「アフリカが彩る私の人生」と題しての話を聴きました。小宮さんは愛知万博でアフリカ・タンザニアの青 年マイケル・へレムさんと知り合って結婚。
主人のマイケルさんは日本を活動の拠点として、ティンガ・ティンガという独特の絵画スタイルで活躍しており、淳子さんは、その絵を通じてタンザニアの文化 や自然の美しさを広める仕事をしています。
タンザニアと姫路。人と人が出会い、結ばれるという不思議さ、素晴らしさを感じました。
講師の
小宮淳子さん
ペ
ンキで描かれた色鮮やかな絵 ◆10月22日(木) 秋祭り・続き
お昼のご馳走をいただき、二人の孫と舅さんと祭りを見に行きました。お旅所には昨夜に集結した18台の屋台と、4台の壇尻がずらりと勢ぞろいしている光景 は、豪華絢爛、実に見事です。
昼過ぎて、屋台が1台ずつお旅所から宮へ移動していきます。
大勢の男たちにかつがれ、チョーサーの掛け声とともに高く差し上げる、その華麗さを町ごとに競うのです。屋台と壇尻は祭りの花ですね。
差
し上げられた屋台が青空に輝く
ず
らり勢ぞろいした屋台◆10月21日(水) 網干の提灯まつり
朝から着物姿の女性たちが太鼓や三味線を演奏しながら、町内を流して歩きます。夜は大人も子どもも提灯をもってお宮まで行進します。
提灯の灯りの行列が長く続いて、幻想的ですが、お宮につくやいなや、若者たちは、手にした長い提灯竿を激しくぶつけあい、自分たちの提灯を叩き壊してしま います。
激しく竹竿を叩き合うほど、神様がその音を喜ばれるという、珍しい祭りなのです。
大
覚寺の門前を通る「流し」の女性
激
しく竹を叩き合う若者たち ◆10月21日(水) 龍野へ
群れて咲いても華やかで、一株に二三輪の花が風にゆれているのも風情があります。それにしても、これほど見事なコスモスの畑を見るのは、久しぶりでした。 心が洗われました。

◆10月16日(金) 明石・長壽院へ
このたびは私の出番はありませんが、長壽院は大覚寺と法縁の深い寺院でもあり、午後にお参りしました。
本山から総長はじめ法事部・教宣部のメンバーあわせて20名による厳粛で有意義な法要でした。長壽院は明石藩主の松平公の菩提寺で、本堂の横に歴代藩主 のお霊屋があります。
新しい山門が完成し、境内も見事に整備され、壮麗な本堂に一杯の参詣者があり、感激に満ちたお待ち受け法要でした。
靍岡住
職導師の法要
本堂
の上に明石天文台 ◆10月9~10日 新潟県長岡へ
法要のあと、厳護法城に尽力された門徒8人への感謝状贈呈があり、喜びの中で法話を一席。「三感王と恩送り」の話をしました。
座敷での祝宴に同席し、孫の智寧の通う栖吉小学校に行き音楽会をチラッと見て、新潟空港へ。駆け足の長岡訪問だったけれど、3人の孫のゲンキな様子と、 娘が寺の嫁としてがんばっている姿を見て、安心して帰途につきました。
朝の
歌をみんなで合唱
住職
50年の春日師
記念の法話
山門で娘と孫◆10月6日(火) 京都でミニ同窓会
お経の中の論語にたとえられる釈尊の人生訓を、10人の講座生と学びます。幸い前回から引き続いての受講の方がほとんどで、なごやかな雰囲気です。
講座を終えて、新幹線で京都へ。学生時代、日曜学校のサークルにいて、4年になって西陣にある長円寺さんで日曜学校を開校しました。清水住職さんや奥様 がやさしくて、とても家庭的な日曜学校でした。
大学を卒業後も、龍谷大や京都女子大の後輩が引きついで、西陣の子どもたちを「仏のこども」として育ててくれていたのです。
後輩の一人、旭川の北塔光昇師がこのたび西本願寺の勧学に昇進されたので、そのお祝いのミニ同窓会に出席しました。
勧学というのは宗学(宗派の学問)の最高の学位で、本願寺には現在16人しかおられないのです。福岡の下川弘暎師は本願寺の総務であり、後輩が立派にな り活躍することを誇りに思います。
左・
勧学の北塔師。右・総務の下川師
清水
住職夫人を囲んで ◆10月3日(土) 第5回お経と法話の会
勤行式の中の唯一、釈尊の教説です。法蔵菩薩が阿弥陀仏となる因縁について話をしました。
この法話の会のメンバーで12月4日に本山参拝を計画しています。名残の紅葉を楽しみに。


◆10月1日(木) 禅林寺庭婦人会30周年祝賀会
寺院にとって寺庭婦人の存在は大きく、時には住職以上の働きをします。住職のマネージャーとして事務をこなし、尋ねてくる檀信徒の相談にも対応します。寺 域の掃除も大切な役目です。
普段は激務の奥様方も、この日は仲間の集まりでもあり華やかな和気藹々の祝賀会でした。
藤
井郁子会長(長田寺)の挨拶
百名
余りの出席で盛会
榊
原兵庫県支所長と同席
歴
代の会長とご法主(左)、久我総長(右)◆9月30日(水) 今月読んだ本
能楽を大成した世阿弥が72歳のとき佐渡に配流される。
物語はその舟の中での回想で始まる。
美少年であった世阿弥は室町将軍から寵愛をうけ、やがて疎まれる。
寂聴師の85歳とは思えぬ瑞々しい感性が、濃密な文体を通して伝わってくる。
表題は世阿弥の「風姿花伝」の中の「秘すれば花なり」から付けられている。
2 東京タワー オカンとボクと時々オトン リリー・フランキー著 扶桑社刊
著者の自伝小説。最後に泣いてしまった。母の愛は強し。
3 新・姫路の町名 播磨地名研究会編
姫路市内の全523町の名前の由来を調査したもの。
網干の名の起こりは、魚吹神社祭礼の時、漁師が漁を休み浜で網を干したのが始まり、とある。
それにしても地名はおもしろい。
4 美人の日本語 山下景子著 幻冬社刊
4年前に発刊されたこの本を、書店に行くたびに探していたのだがみつからまかった。
先日ネットで検索したら、最近、文庫本として再刊されたと知りネットで注文すると、五日で届いた。
便利な世の中になりました。
5 名僧の一言 中野東禅著 三笠書房刊
今月読んだ本
◆9月24日(木) 京都・南禅寺へ
今月3日にも境内を散策したのですが、今回は本坊の中を拝観しました。
小方丈の襖絵は加納探幽の群虎図、なかでも「水呑の虎」の絵が有名です。大方丈の前の庭園は、小堀遠州の作と伝えられる枯山水の「虎の子渡し」の庭と呼 ばれています。
南禅寺第9代管長・柴山全慶老師の詩に「花語らず」というのがあります。
花は黙って咲き 黙って散ってゆく
そして再び枝に帰らない
けれども その一時一処に
この世のすべてを托している
一輪の花の声であり 一輪の花の真である
永遠にほころびぬ 生命のよろこびが
悔いなくそこに 輝いている
大方丈前の
庭園
珍しい硯
の形の蹲◆9月21日(月) 滝野町の老人ホームへ
終戦直後、八千代町の初代町長の門脇さんが、発案して県に呼びかけ、やがて国民の祝日となったのです。
滝野町の特別養護老人ホーム「フロイデ」からの依頼をうけて、入所しているお年寄りの家族会での講演でした。超高齢化の社会になって、ますます特養の施 設が必要とされています。
「年寄り笑うな 行く道じゃ」という言葉があるように、いつかは行く道です。
介護を受けている老人たちも、この日は家族と団欒のひと時を過ごし、嬉しそうでした。
ホールで
の講演会
家族
会の方と職員さん9月21日(月) 滝野町の光明寺へ
光明寺は標高251mの五峰山上にあり、西暦594年にインドから飛来した法道仙人によって開創されたと伝えられる古刹です。真言宗に属し「播磨高野」と 呼ばれています。
山の中腹にある駐車場に車を止めて、そこから急な坂道を歩くこと250m。ちょうど息が切れかかったところに「大慈院」という塔頭があります。
ここには善導大師の画像が奉安してあるお堂がります。
浄土宗の開祖法然上人が師と仰がれた善導大師の御影が、なぜ真言宗のこのお寺にあるのかわからないのですが、善導大師が中国の光明寺で念仏信仰を教化して おられた、その名を寺号とされているのです。
なにかのご縁が深いお寺なので、合掌十念回向をいたしました。
大慈院山門前の机の上に、山野草が六鉢ほど並べてあり、「どうぞ連れて帰って下さい」とメッセージがあったので、一鉢ありがたく頂いて帰りました。お礼 に僅かながら大師堂の額の修理の募金箱に献金させていただきました。大事に育てます。
善導大師の額
大慈院の山門
◆9月19日(土) 母校の体育大会
例年よりカラフルで、生徒たちの生き生きとした姿に青春を熱く感じ、50数年前の自分の姿を重ねて懐かしく眺めておりました。
母校の校旗
女子のリ
レー競技 9月19日(土) 大塩・西光寺で結婚式
ティルマン君は和服のよく似合う好青年であり、祥子さんは4か国語の話せる才女です。二人はスペイン留学中に知り合い、愛を育んでついに結婚にゴールイ ン。
国際結婚とはいえ二人の仲むつまじさに違和感はなく、純和風の仏前結婚式は恙なく挙行できました。ドイツから来日されたブリル家の両親・親族の方々は、 「厳粛な式に感動した」と通訳を通して私に鄭重なお礼を述べて下さいました。
袖触れ合うも多生の縁、といいます。まして国籍・言語・文化習慣を異にする二人が出会い、夫婦となるには、不思議な出会いと深い縁(えにし)に因るもので あり、固い絆に結ばれた「魂の伴侶」(Soul Mate)としてこれからの人生を助け合い支えあって、良い家庭を築き上げて下さい、と司婚者として垂示申しあげました。
新郎と新婦
仏前結婚式
花
嫁と大塚師夫妻
両家の挨拶◆9月18日(金) お彼岸の準備
落ち葉を掃き、花立の水を替え、花をたて、みんなでおまいりしました。
お墓の掃除
をし
みんなでお
参り◆9月16日(水) 特別養護老人ホーム
5時30分。仕事を終えた職員さんがロビーに集まり、一般の人も含めて80人の聴衆を前に介護に必要な「布施の心」について、約90分の講演でした。
福祉の仕事に携わる方々は、ほとんどの人が共通の「志」を持っています。それは「一人でも多くの人々の幸せに貢献したい」という奉仕の精神です。
生まれた時は喜ばれ、老いては嫌われ、病んでは飽きられ、死んでは忘れられ・・・・
であってはならないのです。そのために仏教では「和顔・愛語」の実践を教えます。
それにしても、世話をする人の高い志に対して行政の対応はまだまだ不足しているように思います。職員さんの労苦に敬意を表し、応援のメッセージを述べさ せてもらいました。
熱く語る和尚
熱心な聴
衆を前に
◆9月15日(火) 姫路・善導寺で布教研究会
この日は姫路の善導寺を会場にして布教の勉強をしました。講師として毎回出講しますが、青年僧の熱意は大したもので、法話の中身も表現の仕方も眼に見えて 成長しています。
将来の宗派を背負う彼らに頼もしさを感じて、ますますの研鑽を望んでいます。
◆9月10日(木) 大学のミニOB/OG会
市内の西本願寺派の寺院で日曜学校を開設し、子どもたちに法話をし、童話やゲームなどで一緒に遊ぶというサークルです。
現在の中西玄禮は、この学生時代4年間で僧侶としての基礎を作ってもらったと思っています。
この日集まったのは、龍大の先輩である幹栄盛師(加古川の鶴林寺住職)はじめ、京都女子大の横倉美雪さんなど、かつての仲間たち11名。
来年9月に130人規模の同窓会を開催するための打ち合わせの会なのでした。
◆9月9日(水) 労音のフルートリサイタル
姫路文化センターで夜6時30分開演。ヴィターリのシャコンヌに始まり、シューベルトのアヴェ・マリア、グルックの精霊の踊りなど、親しみ深い作品から馴 染みの薄いフランスの現代音楽まで、たっぷり2時間堪能しました。
ピアノ伴奏の中川賢一さんとの息もよく合って、秋の宵にふさわしいコンサートでした。
それにしても、フルートの音色はしみじみと癒されますね。
瀬尾
和紀さんのポスター
◆9月4日(金) 坂本の西教寺へ
名神京都東インターから湖西道路に乗ると15分で坂本に着きます。
天台真盛宗の総本山で、聖徳太子の創建といわれています。慈恵大師良源上人が復興して念仏の道場となり、1486年真盛上人によって不断念仏の道場となっ た、と案内板に書いてあるように、天台宗でも念仏を宗旨とするお寺なのです。
坂本城から移築したという山門をくぐり、桜並木の参道を登ると、左手に堂々たる本堂がありました。残念ながら拝観できないので外からお参りし、誰もいな い静かな境内を散策することができました。桜の咲くころにもう一度お参りしたいですね。
西教寺の境内
本堂
◆9月4日(金) 坂本の滋賀院門跡へ
滋賀院門跡は歴代の天台座主が暮らした坂本細大の里坊です。安濃積みの見事な石垣に囲まれた境内には、内仏殿や客殿があり、小堀遠州が作庭した山水庭園は 客殿の縁側から座ってみると、心が安らぎます。
客殿に大涅槃図が掛けてあり、左上に魚が数匹描かれているのが大変珍しい図でした。
安濃積みの
石垣
内仏殿
魚
の描かれた大涅槃図
客殿
から見る山水庭園◆9月3日(木) 南禅寺へ
雪の降った早朝、市電に乗って南禅寺まで行き、真っ白な雪景色の中の山門に腰掛けて、幻想的な風景を飽かず眺めていたことを思い出します。
久しぶりに参拝客のまばらな参道を散歩しながら、青春時代を回想しておりました。
石
川五右衛門の伝説のある山門
時
代劇のロケに使われる参道
法
堂の軒下の風鐸
赤レ
ンガ造りの水路閣
◆9月2日(水) 牛さん、こんにちわ
たつの市真砂の井口明さんは当寺の檀家で、乳牛を10頭余り飼育しておられます。
夕方、3人の孫をつれて牛を見学させてもらいました。動物園にいっても牛はいません。
絵本でしか見たことのない孫たちは、本物の牛の大きさに驚き、鳴き声の迫力にびっくりした様子でした。
毎日飲んでいる牛乳の製造元を見て、納得。百聞は一見にしかず。
良い社会勉強でした。
牛舎の前で
ずら
り並んだ乳牛たち◆9月1日(火) カルチュアスクールでの講座
金子みすず・相田みつを・坂村真民などの方々の優れた詩や歌を通して、仏教を学ぶ、という講座でした。
最後は黒田如水と「水五則」について仏教の六波羅蜜と関連させながらお話しました。10数名の講座生でしたが、最後まで熱心に聴講して下さいました。
10月からは「法句経に学ぶ」というテーマで、3回の連続講座を開きます。
第1土曜の午後1時30分から90分の講座です。楽しい講座にしたいですね。
講義の前の教
室◆8月30日(日) 今月読んだ本
朝日新聞の「あのね」欄に寄せられた投書をあつめたもの。
2、「天声人語」 2009春 原書房刊
3、「播磨百人伝」 寺林 峻著 神戸新聞出版センター刊
古代から近代まで、播磨に生まれた人だけでなく外からやってきて一時代を画した
人百人の群像である。大変興味深く、教えられることが多かった。
4、「がばいばあちゃん お寺へ行こう」 島田洋七著 本願寺出版社刊
今月読んだ本
◆8月29日(土) 中堂寺住職伊藤敬道師のお通夜に
僧侶の手本のような方で、都会的な布 教の実践をされ、毎月「やまびこ道場」という法話の会を開いておられました。大学生であった私は、ここになんどもお伺いして布教の勉強をさせてもらいまし た。
子息である敬道師は、不言実行型のおだやかな人柄でした。本山の法事部で指導的な立場におられたのですが、すこしも偉ぶら ない謙虚な方でした。
去年1月に中堂寺で「お待ち受け法要」を勤められ、私も布教使として参加しました。その時、導師をされた姿はお元気そうでしたが、す でに病気がかなり進行していたとのこと。親子二代で親しくしていただいたご縁に感謝しながら、通夜の読経に参列しました。
それにしても、この数ヶ月の間に私より若い住職が三人も遷化され、言い知れぬ寂しさを感じます。老少不定。無常の現実を見定め、悔いなく生きねばならぬ と思っています。
◆8月29日(土) すずの4歳
ケー
キを前に「いただきます」
すずの 4
歳!◆8月27日(木) 本山の宗学院で
私はこの講師に任命されて40年になります。講師の中でも古株になります。現在は「布教」を担当しており、親子二代にわたって指導させていただいた院生 も数多くなりました。
この日は朝から夜まで連続7時間ぶっ続けの集中講義という、前代未聞のハードな一日でありました。話す方も大変ですが、聴く方はもっと辛かったろうと院生 に同情しています。
お疲れさん!
昼食の時間◆8月23日(日) 地蔵盆
信浄寺はもと大覚寺の塔頭で尼寺でしたが、今は私の弟の玄晃が住職をしています。
夜7時。提灯に灯がともり、本堂でお施餓鬼が勤まります。多くの信徒の方がお参りされ、亡き人やご先祖の塔婆回向がおこなわれました。
信浄寺の正面
提灯
に飾られた地蔵堂
本
尊のお地蔵さん
本堂での
お施餓鬼
◆8月23日(日) 京都の地蔵盆
賽の河原で子供を守るお地蔵様は、こどもだけでなく庶民を守る仏様です。地蔵盆は夏の終わりを告げる、麗しい仏教行事なのです。
子
供たちが中心の地蔵盆
お
参りした後の風船釣り◆8月22日(土) 法金剛院の蓮の花
ここは花の寺として知られ、私の好きな寺の一つです。待賢門院が極楽浄土として造園させたといわれ、今では蓮の寺として有名です。
花はほぼ終わっていましたが、咲き残った花は期待に違わず、色とりどりに花ひらいており、他に参拝者もなく、極楽浄土の美を独り占めして眺めてきました。 幸せなひとときでした。
法金剛院の
山門
清楚な白い蓮
多くの地蔵の群
珍しい蓮の花
◆8月21日(金) 加古川・常楽寺 勝山俊明師の葬儀
。
81歳で遷化されたことが誠に残念です。
温厚で篤実な指導者を偲びつつ、葬儀に参列しました。
◆8月18日(火) 爺と孫の夏休み
ここはお風呂もある温水プールで、年中利用でき、時々孫をつれてきます。
和尚が子供のころは、もちろんプールなどなく、もっぱら川で泳いでいました。今でも泳ぎはもちろん、もぐりもできますが、さすがに25メートルを往復する と息がきれますね。明らかに運動不足です。
姉の和奏は、この日15メートルほどビート板なしで泳げるようになりました。一日だけでしたが、楽しい
夏休みでした。
泳ぐわ
かなとはるか
プールサイ
ドで
◆8月15日(土) 精霊流し
先頭の子供が鉦をカンカン打ち鳴らし、やがて一軒ずつ舟を川に浮かべます。
船は流れに乗り川下から海へと流れていきます。
情緒ある精霊流しで今年のお盆が終わるのです。
揖保
川に集まる精霊舟
海
に向かって流れる二艘の舟
提
灯で飾られた舟
N家の
家族と精霊舟
◆8月13日(木) お盆の行事
本堂と余間の位牌にお参りし、正面の明かりを持参の灯篭に移して自宅に持ち帰り、その灯で仏壇のローソクや線香に火をつけて、家族みんなでお経を読みま す。
これが何百年と続いている檀家の作法であり、親から子へ孫へと受け継がれていくお盆の先祖供養なのです。
住
職は歴代の墓地で読経
余
間に祭られた位牌にお参り
家
族で本堂にて焼香
子供
たちも神妙に合掌
◆8月11日(火) ラジオ放送の反響
日曜日の午後4時に、しかも姫路市をエリアとするFM放送を聴く人があるのかと心配していましたが、檀家のN夫人から「聞きました!」という丁寧な便り をいただきました。一部を紹介します。
「普段はラジオ深夜便を聴く位でFMは初めてでした。電波の関係で、常にアンテナをぎゅっと握っておりますとはっきり聞こえることがわかりましたので、四 時がくるのを楽しみに、横浜の姉にもと、録音テープをセットしてお待ちしておりました。主人も広島出身ですし、有意義なお話を聴かせていただき嬉しく、本 当に有難うございました。(以下略)」
戦争と平和に対する思いを仏教の立場で訳45分間述べた放送でしたが、一人でも聞いて下さった方があったと判明して、大満足であります。
見事な筆
跡のお便り
◆8月10日(月) お盆のお施餓鬼
それでも例年と余り変わらない参詣があり、ホッとしました。異常気象ですね。
10時から始め、昼休みをはさんで午後4時に終了。
住職にとっても、檀信徒の方々にとっても、やはりお盆は特別な行事なのです。
開式前の本堂
お盆独
特の施餓鬼棚◆8月6日(木) 網干の川まつり
小学生や中学生のブラスバンド・婦人会の盆踊り。日が落ちて夜になれば、地元の踊りグループ「純大恋」のよさ恋踊り。そしてメーンは興浜の太鼓集団「一 擲」の見事な撥さばき。最後は打ち上げ花火の競演。
孫二人つれて、夏の宵を花火見物で楽しみました。
太
鼓集団一擲の迫力ある演技
圧倒
されてる孫ふたり
楽
しみはボールすくい
夜
空を彩る打ち上げ花火◆8月4日(火) KCCでの講義
これまで金子みすず・相田みつを・会津八一・坂村真民の四人の詩や歌を取り上げて、作品にこめられた仏教の思想について話をしてきました。
第5回は橘曙覧(たちばな・あけみ)の「たのしみは」ではじまる独楽吟(ひとりたのしめるうた)52首のなかから10首を選び、清貧のなかで「幸せさが し」を求め、心豊かに生きる知恵を学びました。
9月1日「黒田官兵衛と水五則」でひとまず、このシリーズを終了して、10月から新シリーズ「法句経に学ぶ」を3回連続で始めます。第1火曜日・午後1時 30分からです。
◆8月3日(月) お盆モードに入る
朝7時から始まっているのに、私がお寺に到着したのは8時半でした。
7人の僧侶が二組にわかれ、30分ずつ交代しながら塔婆の回向をします。長引く梅雨の影響で本堂の中はそれほど暑くなく、昼前に法会は終了。
休憩中に交わす僧侶仲間の雑談が、時に情報交換であったりして、これが結構楽しみなのです。
さて、これから二週間、気を引き締めてお盆モードに入ります。
◆8月1日(土) 第3回お経と法話の会
お経と法話の会も3回目になり、顔ぶれが固定してきました。末吉が指導する節つきのお経も、声がよく揃って立派な勤行になってきました。
今回の法話は、阿弥陀仏と釈尊の関係と、法蔵菩薩が阿弥陀仏となられた因縁についてお話いたしました。仏の誓願によって生かされている私たちは、せめて 一人でも多くの人の幸せのために生きようという、志を立てることが大切だと説明しました。
末吉のお
経の指導
住職の法話
◆7月31日(金) 「FMゲンキ」に出演
出演を勧めてくださったのは黒田権大先生。高校時代の恩師であり、姫路の空爆犠牲者の遺族会会長でもあり、戦争の語り部でもあるのです。
姫路は米軍による大規模な空爆を受け、市街地は完全に焼け野原となり、多くの命が失われました。
太平洋戦争で戦災を受けた全国の都市の空爆による死傷者の慰霊塔が、昭和31年に姫路の手柄山に建立されました。ちょっと変わった形の塔は、刀を地中に突 き刺した形を現しており、「二度と戦争はしない」という宣言であるのです。
側柱には113の加盟都市の被災記録が刻まれており、毎年10月に50万9700余柱の犠牲者を追悼する平和記念式典が挙行されます。戦死者の慰霊のた めの塔や碑は全国にありますが、空爆犠牲者となった市民の慰霊塔は、日本で唯一つ、姫路の手柄山だけです。
番組は司会の田口秀幸氏とアシスタントの西田理恵さんによって進められ、50分間の対談を無事すませることができました。放送は8月9日午後4時から1 時間。ローカルな局ですから姫路近辺の方しか聞いてもらえないのが残念です。さて、反応や、いかに?
姫
路手柄山の空爆慰霊塔
塔
の近くにある平和資料館
ス
タジオで録音風景
戦
争と平和について語る◆7月29日(水) 母校の姫路南高校へ
この日は学校評議員会のため母校を訪れました。
夏休みにもかかわらず、多くの生徒が登校していて、クラブ活動に励んでいました。蝉時雨の合間にコーラスの練習の声が聞こえてきて、ふと学生時代を懐か しみました。
野球部は4回戦で敗退して、秋の試合にむけて練習を始めていました。
正
門を入ったところの校舎
野球部の練習
体
育館ではバレー部の練習
校訓の碑◆7月28日(火) 太子町の蓮の花
姫路バイパスに入る手前にあって、いつも車窓から眺めています。
インドでは白蓮華をプンダリーカ、紅蓮華をパドマといいます。
泥の中にあって、しかも泥に染まらずに咲く白蓮華を念仏者に譬えて「人中の妙好華」といいます。

◆7月20日(祝) 孫と交通公園へ
夏休みになって、折角の休日を孫をつれて交通公園へいきました。
いろんな乗り物がある遊園地で、久しぶりに童心に返りました。
わ
かなはスポーツカーを運転
は
るかはオートバイに乗って
汽車
ぽっぽにも乗り
最後
はソフトクリーム ◆7月19日(日) 新幹線の姫路駅
いつも感心するのは、駅の待合広場に豪華な祭りの屋台が展示してあるのです。
灘の喧嘩祭りで有名な松原神社の屋台の一つで、近くで見ると大きさだけでなく豪華さでも見事なものです。
もう一つの見所は、駅のホームの中央付近の一箇所から、ビルの谷間に姫路城が見えるのです。この眺めもまた新幹線に乗る楽しみの一つです。
灘
の喧嘩まつりの豪華な屋台
ホー
ムから見える姫路城
◆7月18日(土) 相生市仏教会の講演会
今年は私にご使命をいただき、相生市民会館に出講しました。同じ会場で「おくりびと」の映画の上映も行われていたのですが、講演会場は150名ほどの熱 心な聴衆が来られて、ほぼ満席でした。
90分の講演を笑ったり涙ぐんだり、最後まで真剣に聴聞され、話者と聞き手が一体となる、良い講演会であったと思います。
準備から会場設営など、ご住職方の熱意が伝わってきました。
継続は力なり。その力にわずかでもお役に立てたのであれば、嬉しいことです。
会場を埋
めた聴衆
講演中の
玄禮和尚
講
演終了直後の聴衆の表情
講
師控え室で役員さんと
折角、相生まで行ったので、ちょっと足を延ばして相生市内の矢野の里まで瓜生羅漢を拝みに行きました。
駐車場から山道を250メートルほど上ると、苔むした岩窟があり、この中に釈迦像を中心に左右に文殊・普賢をはじめ十六羅漢が並んでいます。
説明板によれば、作者・製作年代は不明。
朝鮮の僧、恵便・恵聡がここに隠れ住んで作ったといわれています。
この岩窟は赤松氏の居城であった感状山城の間道にあり、戦国武士の霊を弔うための供養の仏であるといわれて、400年前の室町時代に彫刻されたと推定さ れています
般若心経を唱えてお参りし、岩窟を後にしました。
中央の釈迦像
十六羅漢の
左側
同 右側
駐車
場近くの水車小屋◆7月16日(木) 最近読んだ本
2、百寺巡礼 第8巻 山陰山陽 (同上)
文庫化されて大変読みやすくなりました。これまでに読んだシリーズの中では、
第7巻の東北が一番おもしろく興味をもって読みました。
山寺・中尊寺・毛越寺・瑞巌寺のように、すでにお参りしたことのある寺だけでなく、
白水阿弥陀堂や恐山など特に興味深く、一度ぜひ尋ねてみたいところです。
なによりも「みちのく」という土地に心惹かれます。
3、私訳歎異抄 (五木寛之著・東京書籍)
五木さんの私訳もわかりやすくていいけれど、
最後の解説「親鸞とその時代」が良くまとめられていた。
4、毎日にありがとう (朝日新聞出版)
朝日新聞の投書欄「声」「ひととき」などに寄せられた読者からの投書を集めたもの。
法話の良い材料になります。
5、法然上人とその弟子西山上人 ひろさちや著 (春秋社)
法然上人には実に多くの弟子がいましたが、中でも善恵房証空(通称 西山上人)は
師の法然上人が最も信頼をおいた後継者でした。
そのことを、ひろさちや先生がわかりやすく、噛んで含めるように書き表した好著。
一晩で詠み通しました。

◆7月14日(火) 研修会に出講
浄土宗西山禅林寺派の兵庫県支所管内の僧侶研修が、14日から三日間、高砂でありました。初日の午後、授戒について講義させてもらいました。
授戒というのは、キリスト教でいうと洗礼のようなもので、仏教徒に入門する儀式があって戒名(キリスト教でいえばクリスチャン・ネーム)を授けられるので す。
浄土宗における授戒の歴史と意義について、たっぷり2時間聞いてもらいました。おつかれさまでした。

◆7月13日(月) 大阪の四天王寺へ
叔母が住んでいた天下茶屋の家の処分を、知人の司法書士さんにお願いして、帰りに四天王寺さんにお参りしました。
まるで梅雨が明けたような真夏の四天王寺は参詣の人も少なく、難波の海から吹き渡ってくる風が実に気持ちいいのです。
1400年以前に聖徳太子によって建立された、日本仏法最初の官寺です。
昭和20年に空襲で七堂伽藍のほとんどが焼失したのですが、石の鳥居が創建当時の面影を残しているようです。
戦後復興された金堂・講堂・五重塔は、いわゆる四天王寺式伽藍配置といわれるものです。金堂の救世観音さまに叔母の冥福を祈りました。
石の鳥居
五重塔
回廊から
見る伽藍
金堂と五重塔◆7月5日(日) 叔母の初七日
10人いた叔父叔母の最後の一人でした。戦前から都市銀行に勤めるキャリアウーマンで、元気なころはよく網干にきてくれました。
身寄りのない人でしたから、私が喪主となり、甥と姪とその連れ合いだけで大阪の葬儀会館で家族葬をしました。
初七日には私の兄弟身内が大覚寺に集まって、明法殿でお勤めをしました。今頃はお浄土で三姉妹が久しぶりに顔を合わせていることでしょう。

◆7月4日(土) お経と法話の会
末吉の指導で「三尊禮」の練習のあと、在家勤行式を全員で唱えました。二度目とは思えぬほど大きな声がよくそろい、気持ちのいい勤行となりました。
そのあと住職が「四奉請」の意味とお経の心をお話し、9時に終了。
休憩時間にはお茶とお菓子を出します。今回は京都の阿舎利餅と一保堂のお煎茶でした。
来月をお楽しみに!
末吉
の指導で発声練習
真剣に読経
◆6月28日(日) 京都からのお客様
赤穂への研修旅行の帰りに立ち寄って下さったのです。尾道の二寺院のご住職も参加され、皆さんどなたも、普段から親しくご交誼下さっている方ばかり。
一時間余りの滞在で、余りゆっくりもしていただけなかったのですが、本堂にお参りしてくださり、所蔵の寺宝をご覧いただきました。
同宗派の、いわば仲間のご住職が遠方からきてくださる。まことに嬉しいことです。
洗心会の皆
さん
経堂を見学
◆6月26~28日 荒神さんの夏まつり
境内にお堂を建てて勧請し、江戸時代から網干の祭りとして賑やかに続けられてきたのです。
今年は三日間とも、天気と曜日に恵まれて、多くの人出でにぎわいました。
盆踊りも
華やかに
夜8
時、人出最高潮
◆6月24日(水) 姫路好古学園大学へ
姫路藩の藩校の名前から付けられたもので、1学年400人定員で、4年制ですから大学院も含めると2400人が学んでいます。
史学・音楽・園芸・書道・陶芸などの専門課程があり、ここで4年間学べば、相当のレベルに達するわけで、皆さんとても熱心に学んでおられます。私もここで 講義するようになって20年になります。
老いて学べば死すとも朽ちず、という佐藤一斉の言葉の実践です。
この日、学校の正門で、私の高校の恩師・黒田権大先生が待っておられました。聞けば、今年から入学した新一年生だ、といわれる。
「今日は玄禮さんの講義を聞くのを楽しみにしている」。
かつての恩師が生徒となって、教え子の話を聞いてくださる。ご縁とはいいながら、有難いことです。
黒田先生は、姫路市の空爆犠牲者遺族の会の会長をされるかたわら、公民館や学校で戦時中の
米軍による空爆の様子を、自らの体験として語っておられます。いわば歴史の語り部なのです。
お元気で活躍される先生に、私も励まされています。
広
い講堂を埋め尽くした学生さん
広
い講堂を埋め尽くした学生さん
◆6月20日(土) 青年会の布教研究会
今回は大覚寺を会場にして法話・説教の研究会があり、指導をいたしました。
教材として取り上げたのは、芥川龍之介の名作・「くもの糸」の紙芝居です。50年も前に発表されたこの作品は、因果という仏教の思想を、カンダタという大 泥棒を主人公にして現代人にも問いかけています。
なによりも美しい日本語と敬語が使われていること。自己中心主義では本当の幸せはえられないこと。 紙芝居という古い教材でも、利用の仕方で新しい布教法 となることを実演を通してわかってもらいたかったのです。
紙
芝居「くもの糸」の表紙
く
もの糸をよじ登るカンダタ
◆6月19日(金) 京都大原 三千院へ
大原は天台声明の発祥の地といわれ、また「恋に破れた女が一人」散策する寺として有名になりました。客殿に面したサツキの刈り込みが美しく、紫陽花園では 数千本の紫陽花が咲き誇っていました。
久しぶりに往生極楽院の国宝・阿弥陀三尊にお参りしました。正面の拝敷に座らせていただいて、係りの僧侶の方の説明に聞きほれました。
8月15日に行われる「万燈会」に灯されるローソクに世界平和を祈願して、ささやかな寄進をいたしました。
最近建てられた収蔵庫の中に、往生極楽院の舟形天井画の復元模写した絵が展示されていました。創建当初の極彩色な浄土の様子に目を見張りました。
三千院の山門
滴
るような青葉の中の阿弥陀堂
苔
の中の「わらべ地蔵」
国
宝・来迎の弥陀三尊◆大原 勝林院へ
三千院の山門を出て、参道を右へ歩くと、突き当たりに勝林院があります。
時節柄、ここは訪れる人も少なく、静かにゆっくりとお参りすることができました。
この勝林寺は823年前の文治二年(1186),当時比叡山の学僧として有名だった顕真法印が、法然上人を招いて聖道門と浄土門のおしえの優劣について論 争したところで、「大原問答」と呼ばれています。
この論争を聞くために、多くの碩学や僧侶が集まり、明遍・貞慶などの当時の仏教界を代表するような学者が法然上人に論争を挑んだところ、上人はこれに一々 答えられ、論議は一日一夜に及んだといわれています。
この結果、法然上人は他力念仏の思想にますます自信を深められ、これ以後、多くの帰依する者があったと伝えられています。
私たち浄土宗に属する者にとって、大切な霊場なのです。
勝林寺全景
本
尊阿弥陀如来と問答台
本
堂正面 「大原問答」の看板がある
境
内にモリアオガエルの巣があった◆6月18日(木) 本山の宗会で
今回は平成20年度の宗派と本山禅林寺の決算についての審議が中心ですが、さすがに一宗の決算ともなると膨大な量です。慎重に審議して、14の議案と承認 案は無事に可決承認されました。
鬼頭宗務総長は、この6月30日をもって、任期満了し退任されます。長年にわたって宗務行政にたずさわり、その手腕が高く評価されていただけに、続投を 望んでいたのですが、この宗会を最後に退任されることとなり、残念です。
宗会を代表して、多年のご労苦に敬意と感謝を申し上げました。
宗
会の最後に挨拶される鬼頭総長
本
山の「知恵と慈悲のわらべ菩薩」
◆6月11~12日 本山の布教講究所で
わが宗派の布教の研鑽を積む研究所で、その所長をして十年になります。
今回は、福井の橘曙覧の「独楽吟」を取り上げて、そこに含まれている仏教的な考え方について講義しました。
・たのしみは 朝起きいでて昨日までなかりし花の 咲ける見るとき
・たのしみは 庭に植えたる春秋の花の盛りに あへる時どき
日常のなんでもない営みの中に喜びを見出す、「しあわせ探し」の歌です。
生きている、ただそれだけでありがたい。もったいない。
曙覧の歌には、今の日本人が忘れている「清貧」の思想が感じられます。
小木曾
管長のご尊講
中西所長の
講義
蹲の中
にも青葉の影
緑
に包まれた永観堂の多宝塔
◆6月9日(火) 長岡からのお客さま
広島で大学の同期会に出席するのに、姫路で途中下車して会館新築のお祝いに来てくださったのです。
お互いに話好きで話題が途切れることなく、孫の話から宗門の現状まで時間の過ぎるのも忘れて、楽しく語り合いました。
会館の茶室で
本堂の前で◆6月7日(土) 神戸 阿弥陀寺さんへ
このたび、檀家で仏師の菅野師が製作された聖観音菩薩を奉納されたので、観音堂の本尊としてお迎えする「開眼法要」が行われました。
私も法要にお参りし、その後の法話をさせていただきました。数年前に再建されたばかりの本堂は、さわやかな風が吹きぬけて清浄な雰囲気の中で、参詣の皆 さんとともに法悦という贅沢な喜びを分かち合いました。
再建
された本堂の前で
表
白文を読まれる澤木住職
本
尊の前の白い像が聖観音
震
災の後に安置された「ふれあい観音」◆6月6日(土) お経と法話の会 始まる
夜7時。挨拶のあと、末吉がお経の節つきの部分を指導して、全員で在家勤行式の本を読みます。さすがに皆さん、普段から読みなれておられるから、大きな声 でよく揃って、気持ちの良い勤行となりました。
お茶のあと、住職がお経の最初、香偈と三宝禮についてお話しました。
わかりやすく楽しい会にしたいと思っています。気軽にご参加ください。
次回は7月4日(土)7時からです。(毎月第1土曜日・会費500円です)

◆6月5日(金) 徳寿院さんのコーラスグループ来寺
ゲストには、チベット出身のバイマー・ヤンジンさんという女性歌手も一緒に日本の童謡や歌曲を合唱されました。
バイマーさんは15年前に来日し、歌手として活動のかたわら、子育てや教育問題のパネラーとして講演もされます。
チベットは熱心な仏教の国。早く民主化が進むことを願っています、と挨拶したら何度もうなずき涙ぐんでおられました。
徳
寿院のコーラスグループ
バ
イマーさん(左)と多門住職(右) ◆6月1日(月) 5月に読んだ本
NHK で放映されている「天地人」よりも30年前に発表された直江兼続の物語。火坂作品とは一味違う重厚 な歴史小説。
2、漆の実のみのる国 上下 (藤沢周平 文藝春秋)
越後から会津若松に移封された上杉家が、関が原の合戦で徳川に対抗したため、米沢へ削封移転させら れる。災害飢饉が続いて貧窮にあえぐ藩の財政 の建て直しをはかる若き藩主、上杉鷹山の物語。
3、林住記 (五木寛之 幻冬社)
4、百寺巡礼 第五巻 関東・信州 (講談社文庫)
5、百寺巡礼 第六巻 関西
6、あやし うらめし あなかなし 浅田次郎 (双葉文庫)

◆5月30日(土) 永代祠堂会
亡くなられた方や、時には自分の死後、代が変わってもお寺で末永く供養してもらいたいと、なにがしかの祠堂金を納め、それを基金として年に一度法要を勤め ます。
今年も多くの方にお参りいただき、龍野の恩徳寺住職の猪沢良秀師の巧みなそして誠実な法話を聴聞しました。
猪沢良秀
師の法話
130名の
聴衆
熱心に聴聞
法
要の後、会館で役員会◆5月29日(金) 東加古川の「いなみの学園」へ
旧地名の「加古郡印南野」に所在するからです。一学年500名定員で4学年合計2000人がここで学んでいるのです。
この高齢者大学で、毎年1回、4年生に講義するようになってから、もう15年になります。ここで4年間学んだ人々は、それぞれ地元で公民館の講師をした り、老人会や婦人会などのリーダーとして活躍しておられるのです。
いなみ野を渡る薫風が吹きぬける大講堂満員の学生さん(ほぼ私と同年代)を前に、気持ちよく
講義をさせてもらいました。
昔
の藩校のような大講堂
講
堂を埋め尽くす老大生
◆5月28日(木) 太子町の教興寺さんへ
徳道上人については、このブログの5月10日の恩徳寺さんの「ご開帳」のところで簡単に触れました。同じ太子町の矢田部という村の生まれで、出家してのち に大和の長谷寺を開創した奈良時代の名僧です。
教興寺さんの境内に建てられた碑文によれば、天平6年(756)に徳道上人によって創建され、天竺より渡来した蓮の実を植え、純白無比の蓮華であったの で、寺の名を蓮常寺とした、と書かれています。
室町時代に真宗に改宗して、教興寺と改名して今日にいたっており、蓮常寺は地名として残っています。
この5月に、徳道上人開基の二つのお寺にご縁があったことを有難く思います。
蓮常
寺の由来を記す碑
教興寺の本堂◆5月22日(金) 彦根へ
新型インフル大流行の兆しの中で、新幹線の中は8割の乗客がマスクをしている光景はちょっと異常ですね。
会場の彦根文化ホールは、350名の会員で超満員。熱心に聴いて下さいました。
雨に煙る彦根城は、とても風情がありました。
雨に煙る彦
根城
彦
根城の夜景(ポスターを転写)
◆5月18日(月) お伊勢参り
名前の意味をよく尋ねられます。気の合う者が何度か集まって親睦を深めているうちに、会の名前を付けようということになり、幹事が用紙に「○○会」と書い て、適当な名を募集したところ、応募者ゼロ。仕方なく、そのまま会の名を「まるまる会」にしたという曰く付の会です。
昭和15年生まれは、今年で数えの70歳。つまり古稀です。そこで古来稀なる年齢に達した記念に、伊勢への日帰りバス旅行をしました。薫風の中をサロン バス(パスではない)で快適なドライブでした。6年生の修学旅行以来の「お伊勢まいり」を、古稀を迎えたお爺とお婆が29名。和気藹々の実に楽しい一日で した。
大鳥
居の前で記念撮影
内
宮に参拝。式年遷宮が近い
伊勢名
物、赤福の店
昔
の街道の雰囲気ただようお蔭横丁
◆5月10日(日) 恩徳寺さんのご開帳
龍野の恩徳寺さんで15年ぶりの本尊十一面千手観音のご開帳がありました。
1300年ほど前、太子町矢田部で生まれ、大和の長谷寺を開創した徳道上人が両親の恩徳に報いるため、故郷に建立したお寺が、恩徳寺である、といわれてい ます。
このたび恩徳寺さんでは、阿弥陀堂が立派に改築されたのを記念して、この日のご開帳が行われたのです。110人のかわいいお稚児さんも参加して、はなや かなお練の行列があり、本堂で法要が勤まりました。
母の日にちなんで色とりどりのカーネーションをお稚児さんがご本尊にお供えし、みんなで健やかな成長を祈りました。
お練で
お稚児さんと
住職の猪
沢良秀師
本堂での法要
本尊
の十一面千手観音
◆5月5日(祝) 網干の花まつり
白象が大
覚寺を出発本山の授戒会を一日休んで、花まつりのために網干へ帰りました。
朝7時45分、大覚寺の前を白象行進が出発。
興浜を一周して浜田>垣内>余子浜>大江島>新在家と網干の町をリレーしながら一巡。
ボーイスカウトに先導されて、午後3時に無事大覚寺に白象が帰ってきました。
参加した親子は述べ700人あまり。柏餅とジュースをもらいました。
大覚寺では住職が子供たちに法話と紙芝居をして、花御堂に甘茶をそそぎました。
午後は新在家の永念寺さんで輪番法要。講師は茨木市の藤大慶師。不登校や親から暴力を受けた子供たちの心のケアに取り組んでおられる行動派の住職さんで す。
いのちはどこから来たのか、なぜ命は尊いのか。ユーモアを交えて熱と真心のこもった、実に有意義なご法話を聴聞しました。
お釈迦様の
お話
紙芝居で大
笑い
みんな
で甘茶を注ぐ
孫の
和奏と遥香も参加
◆5月2~6日 本山永観堂禅林寺での授戒会
説法
は楽しく感動的に法然上人の八百回大遠忌を記念して行われる「授戒会」が、いよいよ今日から五日間開催されます。
参加する受者は370名。
この人々に「戒」について高槻の三輪真明師とふたりで、45分ほどの説法を合計20回(つまり1人10回)するのが役目です。これを「説戒師」といいま す。
説法というのは、むつかしい話をやさしく、楽しく、感動的に話さなくてはいけない、と私は思っています。370名を一人も居眠りさせない、というのは不 可能ですが、それくらいの覚悟が必要なのです。
五日間、どうにか無事終了しました。釈尊から連綿と伝えられてきた戒律を、浄土宗という念仏門の立場で、どのように実践するか。それが授戒の大きなテー マです。
法主様から十の戒を授けていただき、これからは仏教徒として「世のため人のためにつくす」
念仏生活をめざすことをこころに誓い、本山をあとに家路につく方々を見送りました。
「感恩・感動・感謝の三感王をめざしましょう」「こころひろびろと、さわやかに生きましょう」
と心に呼びかけながら。
大覚
寺の13名の受者
左
から小木曾法主・三輪師・私
念仏
を唱えながら行道
念仏を唱
えて礼拝◆4月29日(祝) 白鳥城出現
出現! 近くには万里の長城を模したものもあり、国籍不明の建築物にびっくり仰天。
「白鳥城」というのだそうです。白鷺城の向こうを張って、新しい名所となるか?
白鳥城
白鳥城
◆4月23日(木) 本山の御忌会
御忌会というのは、法然上人のご苦労を偲び、その報恩のための法要です。
30年間、欠かさずに出仕する訳は、一つはそれが浄土宗に属する者の当然の勤めと思うからであり、一つは浄土宗の僧侶としての覚悟を新たにするという、一 種の義務感のようなものでした。
が、最近は正装束に身を包んで、宗祖のご真影の奉られている大殿で僧俗ともに声を合わせてお念仏することに、大きな喜びを感じるようになりました。トシ ですかね。
五
色の幕に飾られた釈迦堂
午前中
の大殿の法要
管長
猊下を導師として
青葉
若葉の中の多宝塔◆4月20日(月) 花まつりの托鉢
5月5日に網干仏教会主催の花まつりを開催するために、4月14日から網干町内の托鉢を始めています。
五日目の今日は大覚寺のある興浜を托鉢します。
「こんちわ、花祭りの托鉢です」。戦前から続く行事です。継続は力なり。
えらいもので一軒ずつ軒並みに訪問して、声を掛けるだけで「ごくろうさま」という労いの声とともに布施して下さる。8日かけて全町内を廻ります。
これも、ささやかな仏祖釈尊への報恩行です。
◆4月19日(日) 千草の西蓮寺さんへ
千草の西
蓮寺さん宍粟市千草の西蓮寺さんでは、開山の教信上人をしのぶ「千草念仏」の法会が4月に営まれます。
ここにお説教に参上するようになって、もう30年以上になります。
教信上人は奈良時代に興福寺で出家した、当寺のエリートの僧侶だったのですが、ある時、突然奈良を出奔し、加古川のほとりに住んで妻子を持ち、旅人の荷物 を運ぶ仕事をしながら、念仏を唱え続けたという念仏聖です。
後世、法然上人が浄土宗を開いて「知者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」と教えられましたが、それより500年ほど前に、その教えのままの 生活を貫いた僧侶です。
今年もお招きいただき、説教を一席勤めましたが、30年間、毎年桜の花の咲く頃に千草を訪れるご縁の深さに感謝と喜びを感じます。
平
福の川筋、街道の面影が残る
平福の正
覚寺山門
教信上人の墓
本堂での法要
◆4月13日(月)午後 高砂・延命寺さんへ
3時から延命寺さんでの総会に出席。2月に開催された宗会の報告を行いました。
境内には江戸時代・享保の頃に作られた「キリシタン灯篭」があります。
地蔵菩薩らしき像が彫られているが、明らかに十字架の形をしており、地蔵信仰に擬装したキリシタンの礼拝対象物である、と説明されています。
延命寺さ
んの本堂
庫
裏の入り口にあるキリシタン灯篭
◆4月13日(月) 本山の永観堂へ
4月10日が大覚寺。11日午前は姫路の善導寺、午後は神河町の生蓮寺。12日午前は多可郡の諦願寺、午後は専浄寺、以上の5か寺でした。
三日間の巡錫を無事終えられた管長様にお礼のご挨拶のため、姫路の善導寺下田住職とともに13日午前11時に本山へ。
管長様はお疲れの様子もなく、「大変楽しい道中だったよ」と喜んで下さりまずは一安心。おりから東山の永観堂は、滴るような若葉につつまれており、ひと とき、心を憩わせることができました。
若葉の中
の多宝塔
善導寺
の下田住職と
◆4月10日(金) 大遠忌お待ち受け法要
4月10日から三日間、兵庫県の五か寺で管長・宗務総長はじめ15名の法事部・教宣部の若手メンバーが大挙来寺しました。いわば法要の出前、です。
皮切りは10日14時からの大覚寺。到着後ただちに食事、記念撮影。そして2時から伊藤玄慎師を司会に、鬼頭総長の挨拶があり、大西秀明師(神戸)・渡 邉晋道師(北海道)の法話。
引き続いて小木曾管長を導師に法要。最後は岸野亮淳師(京都)が阿弥陀仏の大悲の働きを法話され、感動的に締めくくられ約2時間の法要が終わりました。
本堂を埋めつくした250名の参詣の人々は、管長猊下のお言葉に感激し、法悦の面持ちで帰っていかれました。
このたびの法要の持つ意義は大きく、宗祖大遠忌の事業として目に見えないなにかを末寺の私たちにもたらしてくれた、と思います。住職として檀家ともども 感謝申し上げます。
小木曾管長
一
枚起請文を拝読する住職
管長様と
男性役員
管長様
と婦人会幹事 ◆4月9日(木) 新潟の孫来る
6人の孫が全員揃うのは4ヶ月ぶりです。多忙でいささか疲れぎみのお爺にとってなによりの活力剤です。
お待
ち受け法要の日に
長岡の
孫と遊園地へ◆4月8日(水) 姫路の花まつり
名古山の霊園協会と姫路市連合仏教会が共催して行われ、100人余りの僧侶と2000人ほどの善男善女が参拝します。
私も40年間、ほとんど毎年続けてお参りしています。女性のコーラスやお稚児さんも参加して、じつに盛大なおまつりなのです。さくらも満開でした。
百人を超
える僧侶
お稚
児さんによる潅仏◆4月7日(火) 神戸新聞文化センターでの講座始まる
今月から毎月第一火曜日に、神戸新聞文化センタの姫路駅前教室で「心の講座」を始めました。
金子みすず、相田みつを、会津八一などの歌や詩を題材に、仏教の教えを講義します。
第一回は11人の受講生がありました。皆さん熱心に聴講され、今後が楽しみです。。
◆4月6日(月) 人、桜に会う
途中、三日月町にカタクリの群生地があり、立ち寄ってみると、期待にたがわず可憐な花をみつけました。花弁をぴんと後ろにそらせて、恥らうようにうつむき 加減に咲くかたくりの花.恋知り染めた乙女のごとき花なりき。
佐用町から南光町に向かう途中に光福寺という古刹があり、ここに樹齢500年という「大糸桜」があります。花の盛りになかなか会えないのですが、今年は バッチリでした。
この桜は数年前、病気と老齢で傷ついていたのですが、住職さんと樹医とが延命に取り組んで見事に生き返ったという、すさまじい生命力の桜です。
春に桜を見ると、こうして眺められるのはあと何年ほどだろう、という思いが強くなる年齢になりました。
散り始めた花びらを手のひらに受けて、この桜の生命力を一身に受けて帰途につきました。
光福寺の
大いと桜
三
日月町のカタクリの花◆4月2・3日 新入社員の研修に
石の上にも三年、というのは昔の話で、せめて三ヶ月は辛抱してほしい。そうすれば、自分のやるべき仕事に魅力や情熱を感じるようになる。社会は、家庭や 学校とちがって、困った時だれも助けてくれない。自分で立ち向かうほかない。
本を読む。人に会う。旅に出る。
そうして自分を高めていこう。あせることはない。ゆっくり急げ。志を持ち、自分の仕事に誇りを持とう。
人生の先輩として、そう願っています。。
新大阪の会場
で
◆4月1日(水) 明光殿 落成
当寺の男女役員、総代合わせて40名、それに工事を担当された西嶋工務店社長を始め、関連の業者代表の臨席を得て、「明法殿」と名付けた扁額の除幕式のあ と、会館ホールで竣工式を行いました。
檀信徒のみならず、地域に開かれた会館として、法要や文化的な活動など多目的に利用していただければと願っています。
晴れやかな喜びに満ちた一日でした。
会館前の除
幕式
本尊の開眼式
役員と来賓
明
法殿の扁額(和尚の筆)◆3月27~28日 大塩 西光寺の善導忌へ
21年に1度めぐってくる行事のために、輪番の寺は何年も前から本堂や庫裏を修理して準備するのです。
今年は大塩の西光寺さんが輪番で、2年前から説教の依頼を受けていました。
住職の大塚靈雲師は、12歳のときに湖国近江から播州大塩の西光寺へ嗣子として来た人です。
小学6年で両親の元を離れて、見知らぬ土地で暮らすのは、どれほど辛いことか。師の大塚靈瑞上人はずいぶん厳しい人であったようですが、その遷化にあって 20代半ばで住職となり、以来30年余。
本堂と庫裏を見事に再建して、2度目の善導忌をむかえられたのです。
記念に2冊の著書を世に出されました。一つは歌集「栴檀」。
もう一つは、法話集「独り占めせず」。(白馬社刊)
この本の序文に推薦の言葉を書かせてもらったから言うのではないが、奥の深い仏法を、とてもわかりやすく、しかも美しい言葉で説かれていて、大変読みやす い本です。
これを契機に、大塚師のますますの活躍が期待されます。
大塚靈雲師
参詣の人々
お稚児さん
著書二冊
◆3月23~27日 網干の御忌会
今日から27日まで、網干の同宗派の五か寺での御忌の法要が続きます。
23日の信浄寺に始まり、大覚寺、善慶寺、万福寺、そして最後が西方寺。
御忌というのは、法然上人のご祥忌の法要です。これが終わると、普通は春たけなわとなるのですが、今年はまだ寒いのはなぜだ。天気も景気も冷え込んでいま す。
◆3月21日(土) 68歳の誕生日
いまさら誕生日でもないけれど、68歳になりました。
わが家族には3月生まれが、5人います。私たち夫婦、孫の和奏、家内の母、娘の主人。
3月21日は弘法大師のご命日です。
幼い頃に、ばあちゃんが
「あんたは、お大師さんの生まれ変わりさかい、ええボンさんになるんやで」
といっていました。
いまごろ、あの世で苦笑してるでしょう。「しょうのない子やなあ!」
◆3月17日(火) 彼岸入り
春のお彼岸の入りです。
地元興浜の無縁墓地で、彼岸の回向の読経をしました。
夕方、訪れた孫の和奏と遥香を伴い、自坊の歴代の墓地で彼岸まいりをしました。
久しぶりに、成長したひ孫たちを先代に見せることができました。
◆3月16日(月) 龍野へ
宗派の兵庫県青年会の研修に招かれ、龍野の恩徳寺さんへ。
恩徳寺の開山を徳道上人といいます。お寺の縁起によれば、徳道上人は太子町の矢田部の生まれで、大和の長谷寺の開基とされています。
ある時、山中で巨大な風倒木が光を放っているのを見て、これを引き上げて三等分し、真ん中の木材で十一面観音を刻んで、これを長谷寺の本尊としたのだそう です。
そして、同木の根元の部分でも観音像を刻み、両親の菩提を弔う報恩のために一寺を故郷に建立。これが恩徳寺の起源となったのです。
そのために、観音堂の本尊は、長谷寺と同じくらい大きな靈像です。
◆3月6日(金) わかな7歳
わ
かな(右)と すずの(3歳)◆3月5日(木) 梅に鶯「ホーほけキョ!」
たいてい番(つがい)でやってきて、梅ノ木を渡り飛びながら、見事な「ホーホケキョ」を聞かせてくれるのです。
もーすぐはーるですねえ、という気分です。
鶯
を待っていたらめじろが来た
8年前
の還暦記念樹
◆3月3日(火) 2月に読んだ本
利休が切腹する日から物語りは始まり、日を遡りながら秀吉や古田織部、家康、三成など
さまざまな人物が登場して、なぜ利休が死なねばならなかったかを探る、ミステリヤスな
組み立てで、一日と一晩で読み終えました。
2、浅田次郎著・「月島慕情」
表題作始め七つの短編集ですが、どれを読んでも泣ける、という傑作ぞろいです。
一晩に一話を読み、毎夜異なった味わいの涙を流しました。
人に「趣味は?」と聞かれたら、「浅田次郎を読んで泣くこと」と答えよう。
3、五木寛之作品を3冊
・「人間の覚悟」新潮新書
・「百寺巡礼」第3巻 京都1
・「百寺巡礼」第4巻 滋賀・東海

◆3月2日(月) 京都の本山へ
授戒というのは、在家の人が正式に仏教徒となる入門式で、僧侶でいえば「得度」に当たります。
キリスト教でいえば、洗礼を受けてクリスチャン・ネームをつけてもらうように、仏教では授戒を受けると「戒名」を授かります。本来、戒名というのは生きて いるうちに授戒を受けて授かるのが正しいのです。
10年前、やはり本山で授戒会が勤まった時、私は説戒師という役割で、五日間に20回の連続講義をする役目でした。今回は、高槻の三輪真明師と二人で勤 めることになりました。
その打ち合わせのために、本山に出向きました。400人の受者の方が仏教徒としての自覚と誇りをもって、今後の人生を歩まれるように願いながら、精一杯 お話しようと思っています。
授戒会のポ
スター
授
戒会の会場である御影堂◆2月27日(金) 母校の卒業式に
今年の卒業生は第58回生。私は第8回の卒業ですから、彼らとの間に50年の歳月の隔たりがあるのです。その間、校舎は建て代わり、学校を取り巻く環境は 激変しています。
ただ、50年間変わらないものもいくつかあるのです。その一つは制服です。男子の詰襟は開校以来変わらないが、女子のセーラー服は私の入学する1年前に 制定され、入学の2年後に着用が義務づけられました。
Ⅴ字の白線にmのイニシャルの入ったセーラー服は大変人気があって、これを着たいから姫路南高に入学したという生徒も少なくありません。結婚するときに、 嫁入り箪笥の中に入れて持って行った、という女性も大勢いるのです。
もう一つは卒業式です。国歌斉唱に始まり、卒業証書授与・校長式辞・来賓祝辞・送辞・答辞そして仰げば尊し・蛍の光・校歌斉唱というシンプルで厳粛なス タイルは58年間、変わっていないのです。
来賓の一人として祝辞を述べました。「感心・感動・感謝。この三つを持ち続ける三冠王になれ!」と。
卒業証書の
授与
在校生代
表の送辞
◆2月24日(火) 京の冬の旅 嵯峨野へ
嵯峨野の天竜寺の塔頭・宝巌院は最近もみじで有名になってきた寺です。本堂が新築され、そこに田村能里子さんの障壁画が奉納されて今特別公開されているの をみてきました。特別、という言葉に弱いのです。
あわせて、金閣寺の方丈、妙心寺の山門も特別公開中なので、駆け足で拝観しました。
あわただしいけど、見所の多い冬の旅でした。
金閣
寺方丈からの眺め
天竜寺
妙心寺山門
妙
心寺法堂(天井に探幽の龍あり)◆2月19~20日 本山の宗会で
私は二期目で、議長を務めます。宗務総長から今年度の施政方針が述べられ、それについての一般質問が4人の議員から提示されます。
今回は今年度の予算についての審議が主な議題で、二日間で討議して、上程された議案はすべて可決承認されました。
それにしても、慣れない役目なので緊張もし、終わってヤレヤレ、というのが正直な気分です。
聖峰閣の議場
議長席で◆2月18~23日 新潟から孫来る
亮雅は5歳。このあいだまで、あんなに怖がっていたのに、毎朝柴犬のダイを散歩につれていってくれました。彼はNHKのドラマ「天地人」の主人公・直江兼 継の少年時代の与六に似ていると周囲で言われているとか。
妹の優里・3歳は、ますますおしゃべりになり、こまっしゃくれてきて、それがまた可愛いと爺の自慢でもあるのです。小学1年の智寧は今回はお留守番。春休 みにやってくるそうです。これまた楽しみなことです。
朝の散歩
ダイと亮雅
四人の孫と
伊丹空港で
◆2月16~17日 金沢へ
雪の朝の金沢
城富山県商工会のお招きで出講のため、金沢で一泊しました。
正月以来ほとんど雪の降らなかった北陸は、この日の朝から雪。
まったくタイミングよく雪の兼六園や武家屋敷、金箔工芸など、
加賀百万石の城下町と文化を堪能することができました。
琴柱灯篭
兼六園の雪
つり
武家屋敷通り
家老
屋敷の茶室で一服
兼六園の
雪つばき
夜の金沢
城石川門◆2月15日(日) 「網干まち歩き」始まる
このコースに大覚寺も入っていて、15日にさっそく大勢の人がボランティアのガイドさんに案内されて、当寺を訪ねてこられました。その数、約400名。
本堂で弟子の末吉が寺の説明をし、釈迦涅槃図を見てもらいました。皆さん、満足して帰られたようです。
町の活性化に当寺も一役たてれば、嬉しいことですね。
境内で説明を聞く
大涅槃図を見
る人々
◆2月14日(土) 福知山へ
福知山のシルバー人材センターの招きで出講しました。山陽自動車道から舞鶴自動車道へ乗り継いで約2時間。市内に入ると、お城が目に入ります。福知山城 です。
天正7年(1579)、明智光秀によって築城され、昭和60年に復元されたもの、とか。
小ぶりながら、形の美しいお城です。
働くとは、他(はた)を楽にすること。90分の講義を楽しく聞いていただきました。
講演のあとのアトラクションに、井上美香さんという若い歌手が招かれ、聴衆にあわせて懐メロを聞かせてくれました。
美香さんは吉本新喜劇の井上辰夫さんのお嬢さんで、プロの歌手として目下売り出し中とのこと。
なかなか結構でおまんにやわ。(おとうさんのギャグです)
福知山城
歌手の
井上美香さん◆2月13日(金) 本命か、義理チョコか、
わかな6歳、はるか4歳。二人の孫が手作りのバレンタインのチョコレートを持ってきてくれました。
母親の手伝いがあるとはいうものの、きれいな仕上がりで爺と婆はうれしくいただきました。
本命でも義理でもなく、もしかすると「介護・福祉チョコ」かも?

◆2月11日(祝) 龍野の妙顕庵で御忌会
もと大覚寺の説教所で、今は私が住職を兼務しています。
村の中に檀家が21軒あり、そのうち19軒が井口姓です。
11日、朝のうちに私と弟と末吉の3人で手分けして21軒をお参りし、午前と午後にわけて本堂で十夜と御忌の法要を勤めます。
子供のときからなじみの方々ばかりで、実にアットホームな雰囲気でのお勤めでした。
普段は無住の寺ですが、21軒の檀家が当番で掃除や管理をしてもらっています。
先祖から伝えられた「村のお寺」への愛着が、あたたかく感じられるのです。
説教もな
ごやかに
聴聞も家庭
的に◆2月9日(月) 再び京都へ
駅に隣接するホテルのロビーに、紅白の巨大な鏡餅が奉安されているのを見ました。
これは醍醐寺で毎年営まれる五大力仁王会、通称「五大力さん」という法要に用いられるもので、重さ150キロあります。
2月23日には、この大鏡餅を持ち上げて持続時間を競う行事があります。(女性は90キロ)
一番長く持ち上げ優勝した人には、大鏡餅の上の赤いお餅が賞品として与えられるそうです。
京
都駅のホテルの大鏡餅
高
台寺から見た祇園山鉾の塔 ~ 高台寺へ ~
本山に行く前に、高台寺にお参りしました。ここは豊臣秀吉の没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北の政所ねねが慶長11年に開創した寺です。
開山堂の天井に狩野山楽筆といわれる龍の絵が、特別公開されていました。
秀吉と北政所をお祀りした霊屋(おたまや)には、高台寺蒔絵と称される桃山時代の華麗な漆工芸の粋を見ることができます。
山の中腹に立つ二つの茶室は、利休の意匠によって作られ伏見から移築したもので、傘をひろげたような傘亭と、二階建ての時雨亭が廊下でつながれて並んで います。
竹林も整備されて、一人で散策するにはちょっともったいない、風情あるお寺です。
小堀円州
作の庭園
秀吉
夫妻を祀った霊屋
臥龍廊
開山堂と臥
龍池
傘亭と時雨亭
傘亭の内部◆2月5日(木) 京都の旅 東寺へ
目的は国立博物館で開催中の「京都御所ゆかりの至宝」展を見ること。
その前に東寺に立ち寄りました。ちょうど今、五重塔の一階内部を公開しているのです。
嵯峨天皇から東寺を勅賜された弘法大師は、天長三年(826)五重塔の造営に着手します。
ところが承和二年(835)、完成を見ることなく高野山で入定します。
ようやく元慶七年(883)に竣工しますが、以来、この塔は落雷や地震、戦乱などで四度も焼失しているのです。 現在の塔は、徳川家光によって再建された 五代目です。
内部を拝観するのは始めてです。案内の人の説明によれば、心柱を大日如来に見立て、その周囲の須弥檀の上に、阿?如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就 如来の四仏が安置され、周囲の板壁には不空、恵果などの真言宗の祖師の像が描かれています。
全面に極彩色で装飾されていたようですが、今は落剥して色落ちしているとはいうものの、再建当時の華やかさが偲ばれます。
金堂の薬師三尊と、講堂の二十一躰の仏像群に圧倒されました。密教の教えを表現する「立体曼荼羅」といわれています。
初層の屋根裏
バ
ランスのよい堂々たる姿 ~ 京都国立博物館へ ~
天皇陛下のご即位20年の記念に「京都御所ゆかりの至宝」展が開催されています。
御物をはじめ、宮内庁・京都御所に伝わる品々と門跡寺院に下賜された書画・工芸品などが一堂に展示してあるのです。その豪華できらびやかなこと。日本文化 の源は宮にあった、といわれるのも過言ではないのです。
とくに、秀吉から徳川家光のころ、後陽成天皇から後水尾・後西・霊元にいたる歴代天皇のころに宮廷文化が最もはなやかに花ひらいているのです。
和尚の住職する大覚寺もこの頃に最も栄え、現在の本堂・観音堂・総門(いずれも姫路市指定文化財)などが、この時代に相次いで再建されています。
後陽成天皇によって銘文が書かれた「当麻曼荼羅」、後水尾天皇の使用された御褥、霊元天皇筆の六字名号。また後西天皇の内親王で出家して本覚院と称した 宝鏡寺宮の筆になる山号額などが当寺にあり、宮中とのかかわりがあったことが伺えます。
八つの章に分けて展示された遺宝は、どれも興味深く見飽きることがありません。
おかげで良い目の正月をしてきました。




◆2月3日(火) 節分
二月の別名「如月」は、寒さのため更に着重ねるので「衣更着」というそうです。
アイヌ民族の伝承では「海が凍る月」の呼び方もあるといいます。
季節を分ける節分が巡りきて、立春。春とは名のみですが、寒さの中にも、暦に節目がくるとなにやら嬉しくなります。境内の梅も大分開いてきました。
節分の日。ここ網干の興浜には、おもしろい風習があります。
夕方から夜にかけて、十軒ほどの家では豆まきをしたあとで子供たちにお菓子を配るのです。一種の厄払いなのでしょうが、子供たちにしてみれば思わぬプレゼ ントです。
日が沈むと共に大勢の子供が、お菓子を配る家めざして走りまわります。スーパーの白い袋に入りきらぬほどのお菓子をゲットして、嬉しそうなこどもたち。
歌舞伎風にいうならば、「ほんに今夜は節分か。こいつは春から縁起がいいわい」。
百花に
先駆けて咲く梅◆1月29日(木) 涼乃とダイと
子供が大好きで、孫がくると喜んで吠えます。遊んでほしいから吠えて催促しているのですが吠えられた孫は、怖がって近づきません。
ところが、近くに住んでいる次女の子・涼乃(3歳)だけは怖がらず近づいて遊んでいるのです。
体格はがっちりしているから、肝っ玉も太いのかもしれません。ポニョみたいな元気な孫です。
境内をお散歩
お手! ◆1月28日(水) 今月の読書
正月以来読んだ本。
「天地人」上下・火坂雅志著 「草原からの使者」浅田次郎著
「遊行の門」「百寺巡礼」第1巻奈良・第2巻北陸 いずれも五木寛之著
今読んでいるもの
「利休にたずねよ」山本兼一著(直木賞受賞作品)

◆1月27日(火) 和尚の趣味は?
趣味はなにかと尋ねられると、正直なところ答えに困ります。なにかを集めるとか、人に誇れるものがあるとか、これという特定のものがないのです。
もちろん、カメラやビデオなどの映像を撮ったり、音楽を聴いたりするのは好きですが、趣味というほどのレベルではありません。
あえて一つを選ぶなら、読書でしょうか。
読書好きになったきっかけは、小学6年のころでした。
当時カバャキャラメルというのがあって、「おまけ」にカードが入っていました。これを集めると「カバャ文庫」の本がもらえるのです。その本がほしくて小 遣いをためては、せっせとキャラメルを買い本をもらいました。
岩窟王、三銃士、怪盗ルパン、ああ無常、などの外国作品から、宮本武蔵、太閤記など日本のものまで、キャラメルをなめながら本を読むというのが楽しみで、 そのため虫歯になりました。
今、昼間は時間がないので、もっぱら夜が読書タイムです。ふとんにもぐりこんで読むのはカバヤの時代と同じです。
眠くなるまで読むという、睡眠薬代わりなのですが、年のせいか夜中に目が覚めると読み、4時頃目覚めては読んでいます。枕元には常時10冊ほど積んであり ます。
さて、今夜はなにを読むか。
◆1月23日(金) 文化財防火訓練
1月26日は文化財防火デーです。
昭和24年のこの日、法隆寺の国宝の一つである金堂の壁画などが火災で損傷しました。それにちなんでこの日が「文化財防火デー」に定められ、今年で五十五 回目。
大覚寺では3年に1度、網干消防署と連携して大掛かりな防火訓練をおこないます。
午前10時、本堂から出火という設定で訓練火災の発生を119に通報。約3分後に消防車3台と救急車が到着。初期消火をおこない、負傷者を担架で運び、文 化財を搬出し、本堂にむかって一斉に放水。
…と手際よく進みました。ただ、あくまでも訓練だという思いがあるからスイスイといくのであって、現実に火災が起これば、と思うだけでもゾッとします。
一度失ったら二度とは戻らない文化財の保護に、心を配りたいものです。
消火器の訓練
負傷者を運ぶ
いっせいに
放水
訓練後
の和尚の講話◆1月16~17日 本山の布教講究所で
布教を志す若い人たちを中心に集まった受講生約40名。
京の底冷えの中で管長さんの講義から始まった布教講究所の特別講師は、鈴木君代さん。東本願寺に所属しギターを弾きながら歌い、法話をするという、異色 の女性布教師さんです。
若い頃(今も充分にお若いのですが)死ぬことばかり考えていたとき、あるお坊さんから「蟻も鳥も花も、みんな命をもらって生きているんだよ。人間も同じ命 をもらっているんだよ」と諭されたことから、生きる意味を求めて出家したといいます。
彼女の澄んだ歌声は、いのちの尊さと、それを踏みにじる戦争の理不尽さを訴えて、聞くものの心に響きます。君代さんの求道心と歌の持つ説得力のあふれた講 義でした。
17日。阪神淡路大震災から14年目の朝です。午前6時、氷室のなかにいるような御影堂の寒さのなかで、宗務総長を導師に犠牲者の冥福を祈る読経と念仏 回向をいたしました。
寒さを感じるのは生きている証し。
私の命に代わって犠牲になられた多くの人々、仏教では「代受苦者」といいます。
忘れてはならぬのです。
小木曾管
長の講義
鈴木君
代さんの講義
熱唱!
玄禮和尚の
講義
◆1月13日(火) 網干小学校5年生来る
とびきり冷え込みの厳しい朝でした。
網干小学校5年生全員、約120名が先生に引率されて来寺。毎年この頃、5年生が和尚の話を聞きに来てくれるようになって、もう15年ぐらいになります。
全員本堂に正座して、とても熱心に和尚の講話に耳を傾けてくれるのです。
今回は、網干が生んだ傑僧・盤珪国師と大覚寺のかかわり、そして竹馬の友との莫逆の友情。最後に白血病の少女あっ子ちゃんの話で締めくくりました。
50分間、しかも寒い中で最後まで姿勢を崩さずに聞いてくれたみなさん。
ありがとう。
◆1月8日(木) 着物の美女群、襲来
七日七草が終わって、世間では正月気分がそろそろぬけようか、というころです。
檀家参りから帰ってみると、境内が大層華やいでいるのです。なにごとかと思えば、いつも親しくしている宮内の徳壽院住職ご夫妻が、和服を楽しむ会のメン バーとともにお参りにきてくださったのです。
まあその、あでやかなこと、賑やかなこと。大覚寺の境内に時ならぬ春が訪れたようです。
こういう訪問は大歓迎ですねえ。おかげで、目の正月をさせてもらいました。
徳壽院
住職と美女たち
◆1月2日(金) 神戸の花鳥園へ
午後、近くに住む次女夫婦と孫の涼乃とともに神戸のポートアイランドにある花鳥園へ出かけました。
ベゴニアなどの熱帯の花と多くの鳥たちがいるテーマパークで、幼児から大人まで楽しめる施設です。さすがに正月だけあって、広々とした園内は人であふれて いました。
三女夫婦と孫の和奏・遥香の4人は別行動で、神戸のアリーナでスケートを楽しんでいて、4時にポートピアホテルで合流。3家族合計9人、ホテルのバイキ ングで賑やかな食事をしました。
私たち夫婦にとっても年に一度の贅沢な楽しみなのです。
私の休暇は、この二日でおしまい。明日から363日、休みなしの日々が続きます。
た
つの市の井上さん一族の初参り
神
戸の花鳥園で孫の涼乃と◆1月1日(祝) 元旦の大覚寺
除夜の鐘と光の回廊が済み、後片付けを終えて風呂に入り、床に就いたのが午前3時30分。
2時間ほど眠って6時前に起床。弟子の末吉と二人で本堂の扉を開け、灯明を灯し香を焚き、元旦の修正会の勤行をしました。釈迦堂、観音堂を巡拝するころに ようやく新年の夜明けです。
午前7時、愛犬ダイをお供に、海辺まで行くと、おりから東の空に日が昇りはじめます。
2009年の初日の出です。朝焼けの中、雲を黄金色に染めながら太陽がゆっくり昇ってきます。
揖保川の河口に架かる臨海大橋の上には50台ほどの車が列をなし、車から降りた人々が大勢このすばらしい日の出を眺めています。今年の初日の出は、特に 美しかった。
初空や一片の雲輝きて
日野草城の句です。見慣れた空もいつもと違って新鮮に感じます。さて今年はどんな年になるか。
希望と懸念が交錯する年明けです。
どうか今年がよき年でありますように。すべての命の輝く年でありますように。
朝焼けの
空と境内
本堂の正面
元旦の境内
興浜
の海辺の初日の出◆12月31日(水) 除夜の鐘と光のプロムナード
ついにやってしまいました。
庭園が完成した時、なにかお祝いのイベントをと考えて、ふと思いついたのが一昨年の12月に京都の嵯峨野で見た「花回廊」で した。
竹の筒にローソクを入れて、光の回廊を作ろう!この話に造園を担当した今栄果樹園の社長がいたく乗り気になって、300本の竹筒を用意してくれました。
一週間の準 備期間しかなく、あわただしく用意して、いよいよこの夜を迎えました。討ち入りに行く赤穂浪士の心境です。
夜10時、点灯。闇に浮かび上がったともし火の、なんとやわらかく優雅なこと。準備した役員一同が、その光景に見とれてしまいました。
除夜の鐘を撞きにきた人は、もちろん「おお!」という表情でした。本堂にお参りされた人に座敷で抹茶の接待をします。これも住職して以来の恒例です。
会 館が八分通り出来上がり、庭園の完成の記念に試験的に始めた「除夜の光の回廊」。
どうやら大覚寺の名物行事になりそうです。
東
門から本堂までのプロムナード
総
門から鐘楼までの光の道
こ
の夜の仕掛人・寺の役員たち
座敷で
は抹茶の接待◆12月26日(金) 暮れの大掃除
弟子の信禮と、近くの信浄寺の住職をしている弟・玄晃との3人で、暮れの大掃除に取り掛かりました。
とはいうものの、これが半端じゃないのです。
本堂から始めて、観音堂・釈迦堂・荒神堂・薬師堂・地蔵堂・八幡堂など普段掃除しない所も、掃き掃除や拭き掃除が大変です。
3人で手分けして、マル一日がかりで終了。これがすむと、あとは庫裏の大掃除。
大晦日の除夜の鐘に備えて、鐘楼もきれいさっぱり掃除しました。
さて、つぎは年賀状書き。時間との競争で新年をむかえようとしています。
◆12月24日(水) 朝の散歩
これが終わると、愛犬ダイ(大覚寺のダイで柴犬のオスです)をつれて近くの揖保川まで散歩します。往復1キロほどの短い散歩ですが、長年の日課になってい ます。
河口に近い川の土手を歩いていると、季節の移り変わりがよくわかります。
朝焼けの空をみながら、霜を踏みつつ歩くのはいいものです。
漁を終えた漁師さんたちが橋の下で焚き火を囲んで談笑する声が、川面をわたってこちら岸まで聞こえてきます。町がようやく目覚めたようです。また一日が始 まります。
夜明けの揖
保川
愛犬ダイ ◆12月22日(月) 源泉所得税の年末調整講習会へ
お寺さんはいいですねえ、不景気でも仕事はあるし、税金は納めなくてもいいし、といわれることがあります。
確かに景気・不景気に関係なく仕事をしていますが、税金はしっかり納めています。
お寺も法人でありますから、給料制になっています。給与から所得税を源泉徴収されて納付しているのです。
もちろん駐車場や塾などを経営していれば、法人税を納めねばなりません。県民税や市民税も当然のことです。
ただ、寺の境内や本堂などの礼拝施設については固定資産税が免除されているのは、ありがたいことです。ただし、公益法人の税の優遇について批判のある時 だけに、いつまでも甘えていることはできないでしょう。
寺院の公益性とはなにか、が問われているのです。これからの寺院は、地域に開かれたものでなければいけないと思います。
◆12月17日(水) 網干仏教会の年末反省会と忘年会
網干中学の校区に17の寺院があります。そのうち半数が浄土真宗本願寺派。ほかに浄土宗・臨済宗・真言宗と宗派はまちまちですが、とても仲良く付き合っ ています。
一番の行事は、5月5日に実施する花まつりで、仏教会と校区の子ども会、おかみさんの会・ボーイスカウトなどが連携して行う一大イベントなのです。
今年の反省と、来年の取り組みについて協議したあと、カニ鍋を囲んで和気藹々。いつのまにか世代交代して若い住職が多いなかで、玄禮和尚は最高齢者に なっております。長老の会長なのです。
老兵は死せず。居座ってやるぞ!
◆12月16日(火) 高橋真梨子コンサートへ
生涯で最初で最後かもしれない、高橋眞梨子さんのディナーショーに親しい方から招待券を2枚いただいて喜び勇んで出かけました。会場は神戸のポートピア ホテル。
普通のコンサートでもなかなかチケットが手に入らない、といわれているのに、ホテルのディナーショーとなれば断る理由がない。棚からボタモチ・果報は寝て 待て・犬も歩けば棒にあたる、が三つ一遍にやってきた気分でした。
夫婦も40年連れ添っていると、似通ってくるといわれますが、それでも音楽や絵画などで好みの分かれるのはどうしようもないですね。
ところが高橋眞梨子さんは夫婦共通のファンでありまして、新しいCDやライブのDVDが出るたびに買い求めているのです。それがナマで、しかも食事つき で、とはなんと贅沢なことでありましょう。
還暦を迎えたとは思えぬ、パワー全開の魅力的な歌声にすっかり酔いしれて、あっというまの3時間でした。
今年最後にして最高のプレゼント、本当にありがとう。
◆12月14日(日) 龍野・今年最後のお十夜
播州龍野の如来寺さんで、今年最後のお十夜の説教にうかがいました。
龍野は小京都といわれるほど、情緒ゆたかな城下町です。中でも如来寺さん周辺は古い町並みの残る、落ち着いた雰囲気のあるところです。
ほのかに醤油の匂いがただよってきます。寅さんの映画の舞台にもなった町です。
如来寺さんの境内には、大きな菩提樹があり、本堂の前には三木露風の筆塚が建てられています。龍野は童謡赤とんぼの町でもあるのです。
絵にな
る如来寺界隈
山門付近
山門か
ら本堂の眺め
三木露風の
筆塚
◆12月13日(土) 東京・丸の内へ
東京駅の丸の内北口から徒歩1分、日本生命の本社ビルが聳えたっています。全国の支社から自主的に研修を受けるために集まった日生のセールスレディたち が200名。その講演に招かれたのです。
さすがに選び抜かれた優秀な女性ばかりの研修会でした。熱心に聴講される様子が伺えます。話す方も充実した90分でした。
話というものは一方的に語るのではなく、話し手と聞き手の協力関係によって成り立つものであることを証明するような講演会でした。東京まで出かけた甲斐が ありました。
日生ビルの正面玄関の両横に一対の桜が植えてありました。なんと、これが満開なのです。
師走のこの時期に「戻り花」とも「帰り花」ともいわれて、季節はずれの花を咲かせるのはよく見ることですが、
それにしても、花の量が半端じゃないのです。しばらく花に見とれておりました。
東京へ向かう途中、真っ白な雪で化粧した富士山が見えました。わずか3分ほどで雲に隠れてしまいましたが、なんともいえぬ美しい富士の姿でした。
桜と富士と、200人の大和撫子と。日本の誇る三大美に出会えた一日でした。
桜の「帰り
花」
一瞬
姿を見せた白富士 ◆12月12日(金) 京都で宗門の仲間と
総本山禪林寺から毎月「みかえり」というリーフレットが発行されて32年になります。
今月で378号続いています。わが宗派の発行物としては異例の長さで続いています。
その執筆を第1回から担当した仲間が、久しぶりに顔を合わせて食事をしました。
場所は東山の高台寺近くの料亭です。
経典や宗祖の短い言葉を、300字で解説するのですが、短いだけに難しい。時には口角泡を飛ばして喧々諤々の議論におよぶこともありました。
それだけに、気心の知れた良き仲間なのです。おいしいお酒と料理をいただきながら、懐旧談に花を咲かせたことでした。
5年前からメンバーが若手に入れ替わりましたが、私だけは顧問として今も携わり、年に3~4回は原稿を執筆しています。まだ引退させてもらえません。
この夜、見事な満月でした。円山公園から高台寺まで師走の名月を愛でながら、このあたりをよく散歩した若い頃を懐かしく思い出しておりました。
ラ
イトアップされた円山公園の長楽館
円山公園の
満月
料
亭の蔵を改装した座敷
30
年以上の付き合いのある仲間
◆12月1日(月) 102歳の大原先生を囲む会
大原久次先生は私の高校時代の恩師です。日本史の教師であり、弁論部の顧問でした。
今、私が人前でなんとか話せるのは、ひとえに先生の指導の賜物です。
50年余りの教師生活の後、10年前に奥様に先立たれ、一人暮らしですが、95歳で携帯を持ち100歳になった記念にパソコンを始める、という若々しさ です。
いつも身なりに気を使い、おしゃれで、外出の時は杖を持ってでるが、ほとんど使わない。
「死ぬまで見栄張って、胸はって、ジェントルマンでありたい」という信念の持ち主です。
毎年春と秋に、同じく恩師の黒田権大先生の呼びかけで、「大原先生を囲む会」がおこなわれます。
12月1日、姫路総社前にある「かごの家」という料理屋さんで久しぶりの会があって出かけました。
大原・黒田両先生のほかに東道修造先生、先輩・同輩合わせて9人。食事をしながらの談笑はまことに楽しく意義あるものでした。
「昔は70歳を古稀といったが、高齢社会の今では100歳が古稀だと思う。みなさん、実年齢の7掛けでいきましょう。60の人は42歳、70歳なら63 歳の気分で生きればよろしい」
この日、先生からいただいた最高のメッセージでした。
102
歳の大原先生を囲んで
先生と和
尚の談笑
この日の
メンバー
姫路総社の
楼門 ◆11月20日(木) 京都薬科大学へ
三ヶ月前、当寺を訪れた方の名刺を見て驚きました。肩書きに「京都薬科大学 学長」とありました。
用件は講演の依頼でした。それにしても学長さんがわざわざ起こしになられたことに、深く感激しました。
拙著「月影抄」「花影抄」をお読みくださって、ぜひ大学の教職員に講演を、とのこと。これはもうお引き受けするしかないと覚悟を決めて、とうとうその日が きたのです。
午後5時30分。愛学館という新しい建物の三階の講堂で講演が始まりました。ふだん、ここで講義をされる先生方を前に多少緊張しながら、90分の話を終 えました。120人ほどの先生や職員の方々は熱心に聴講して下さり、中には涙をふく姿も見受けられました。
招待してくださった学長の西野先生も大変喜んで下さり、大学の理事の方々と夕食を共にいただきながら懇談して、良いご縁をいただいたことを感謝しつつ帰 途につきました。
それにしても、長崎や奈良そして京都と、特別な出会いと法縁に恵まれた秋です。
薬大に向かう前に、本山の永観堂に立ち寄りました。もみじは最高の見ごろを迎えていました。しばらく境内を
散策し、赤く染められた紅葉に旬の秋を堪能することができました。
京都
薬科大学の愛学館
秋はも
みじの永観堂
多宝塔を
包む紅葉
池
の上の橋で美女に出会う
◆11月19日(水) 室津・浄運寺
室津の浄運寺さんも毎年お十夜にお招きいただきます。
法然上人が75歳のとき、四国へ流罪になります。その途中、室津の港に入り、風待ちのため停泊した船に、土地の遊女が訪ねて上人に救いを求めます。
その化導によって遊女は念仏の信仰に救われます。宗祖の絵伝の中でも特に有名な場面です。
浄運寺さんは二人の出会いの遺跡なのです。
そのお寺でお念仏の教えをお話するというご縁を有難く思います。
浄運寺山門
本堂
庫
裏からの室津港の眺め
室津港の落日◆11月17日(月) 奈良の千僧法要に
1300人の僧侶が参加して世界平和を祈る、という法要が営まれ、これに列席しました。
全日本仏教青年会が創立30周年を記念して、国内・国外の各宗派の青年僧、地元の幼稚園児たちなど、千人どころか、1300人も参加したのです。
わが宗派からは、かつてこの会の理事長を務められた岸野亮淳師(京都恵光寺住職)、伊藤信道師(愛知宝泉寺住職)と私の三人でした。実は私も岸野・伊藤 両師に誘われての参加でした。
それにしても、まれにみる盛大な法要でした。
17日正午、ほら貝の音を合図に、新公会堂から行列し、大仏殿に入堂。
私たち3人は来賓として東大寺の上野管長や真言宗犬鳴派の管長と同じ須弥檀の蓮華台上に着座し読経しました。その間、千僧行列は次々と入堂し、蓮台上を右 回りに行道し、散華するのです。
この法要のあと、中門前に道場をしつらえ、柴燈大護摩供が厳修されました。修験道の山伏姿の僧50人が吹き鳴らすほら貝の音と千人余の僧侶の般若心経の 読経の大合唱のなか、世界平和と人々の幸せを祈る大法要は感激のうちに終わりました。良い仏縁に会えたことを感謝しています。
行
列(赤傘の下は東大寺管長)
左・
伊藤師 右・岸野師
こ
の後に千人余りが続く
柴燈大護摩◆11月15日(土) 大覚寺の十夜会
「この世で十日十夜良い行いをすると、他の仏の国で千年のあいだ良い行いをするよりも優れている。なぜなら仏の国では悪いことをするものは皆無だか ら」、と無量壽経に説かれています。
私たちがこの世でできる、たった一つの良い行い、それは仏の名を唱えること。
こうして十夜の念仏法要が勤められるようになりました。
今では一日一夜だけですが、僧侶は一級装束である七条袈裟をまとい、心をこめてお勤めします。
説教は加古川円福寺の富永真晃住職。
法然上人と式子内親王との信仰の上での深い交わりと、上人からの内親王への「浄土で逢いましょう」という切々たる手紙について、熱をこめて話していただき ました。
夜は私が法話をいたしました。今年最後の法要はお天気にも恵まれ、多くの参詣の皆さんと法悦という喜びを共にしました。
夜の十夜法要
法要中
の行道と散華
富永真晃
師の法話
◆11月14日(金) 尾道・光明寺
さて、尾道でのお十夜説教の最終日は光明寺さん。
本堂と鐘楼との間に塀で囲まれた一角には、大相撲の十二代横綱・陣幕久五郎夫妻の墓と、彼の養父であり師匠でもあった初汐久五郎の墓があり、陣幕の自筆の 句碑があります。
「受けながら風の押す手を柳かな」これは彼の人生訓であり、相撲道の極意を詠んだものといわれています。
本堂の一段下の広場には、横に長く伸びた老松があり、「蟠龍松」と名づけられています。
本堂の正面に掲げられている寺号額は、京都の人形寺として有名な宝鏡寺の二十二代住職・本覚院の宮の筆になるもので、大覚寺の鶴立山の山号額と同じ宮様 の揮毫です。
本覚院宮は後西天皇の皇女で、出家して宝鏡寺の尼門跡となった方です。女性ながら雄渾な筆遣いで知られています。
住職の御藤良基師は、大阪の毎日放送の製作部でディレクターとして長年マスメディアに籍をおいて、数々の番組を企画制作に携わった方です。
停年で自坊に戻られ住職となられましたが、本山の文化部で来る八百回大遠忌の記念事業の企画実行を担当していただいてます。
今年も三日間、お世話になりました。お土産にいただいた桂馬のかまぼこ、とてもおいしくいただきました。
有難うございました。
光明寺の本堂
光明寺の寺
号額
陣幕の墓と
句碑
左から、御藤光明寺住職中、松岡邦尚持光寺副住職
右、宝土寺住職
◆11月13日(木)午後 四国・大三島と道後へ
持光寺さんのお十夜の説教が午前中に終了したので、レンタカーを借りてしまなみ街道を走り、四国に向かいました。この機会に一遍上人の遺跡を訪ねようと 思ったのです。
最初に向かったのは大三島の大山祇神社。一遍上人の祖父である河野通信は伊予河野水軍の大将で、この神社を崇信し、鎧兜などを奉納しています。
境内の一隅に一遍上人が建立したという河野一族の供養塔があります。河野一族の氏神である大山祇神社に一遍上人が参籠されたことが「聖絵」という絵伝に描 かれています。
樹齢2600年といわれる大楠木が聳え、今もなお神さびた雰囲気を残しています。
続いて道後の宝厳寺さんを訪れました。ここは一遍上人の誕生の地であり、本堂には一遍上人の合掌姿の木造が安置されています。昔、遊郭のあった名残の坂 道を上がると、すぐそこに山門があります。
境内に建てられた正岡子規の句碑「色里や十歩はなれて秋の風」は、そんな風景を詠んだものです。
一遍上人を敬愛し、このちかくの砥部町に住んで多くの優れた詩を作られた坂村真民先生は、一昨年12月にお浄土に帰られましたが、ご夫妻のお墓は寺の墓 地の上の方にあります。
自然石に『念ずれば花ひらく』と刻まれています。上人が南無阿弥陀仏の名号札を一生配り続けられたように、真民先生は生涯、詩を作り配り続けられたので す。
10年前、私の著書「花影抄」の序文を書いていただいたお礼に自宅にお伺いし、お話させていただいたことを懐かしく思い出しました。
大山祇神
社の本殿
一
遍上人建立という供養塔
道後の宝厳寺
一
遍上人自筆の名号の碑◆11月13日(木)午前 尾道・持光寺
二日目は尾道駅から一番近くにある持光寺さん。
住職の松岡昭禮師は、昨日の宝土寺の史晃さんの師匠です。
高砂の大福寺から入寺されてかれこれ30数年。もうすっかり尾道の顔です。私とも若い頃からのなじみで、この10月まで本山の宗会議員として活動した仲間 です。
駅から坂道を登ると、林芙美子も通った土堂小学校のすぐ上にお寺の山門があります。「ええ門は福善寺、固い門は持光寺の門」とわらべ歌に歌われたよう に、ここの山門は全国でも珍しい石作りです。
境内の墓地に、江戸時代の中期、尾道の生んだ閨秀画家で頼山陽との艶物語のある平田玉慍の墓があります。本堂の前に最近建てられた記念碑があります。ま た珍しい旱蓮木が黄色い実をつけていました。
副住職の邦尚師も私とは本山の宗学院で生徒と先生の関係にあり、なにかとご縁の深いお寺です。
この寺の名物は「にぎり仏」。住職の発案で、土をぎゅっとにぎりしめ、顔を竹べらで書いて窯で焼き、施主に輸送するというもので、指導を受けながら住職 の話を聞くことができ、それが若い女性に人気なのです。
ユニークな布教の方法に感心しました。昭禮住職に「あっぱれ!」を。
持光寺の
石の山門
珍
しい旱蓮木の黄色い実
にぎり仏
平田玉慍の
画碑
◆11月12日(水) 尾道・宝土寺
「長崎に多いのは、坂・墓・バカ」といったのは、さだまさしさんです。
尾道に多いのは、「坂・墓・ネコ」。
前に尾道水道、うしろに、千光寺山などの山並みに挟まれた尾道の町は、坂道や石段が多く、二十五ある古寺のいくつかを散策、いや巡拝するも良し。多くの文 人墨客を偲んで文学の小道を歩くもよし。いつ訪れても情緒ある町です。
尾道に同じ宗派のお寺が三か寺あります。毎年11月にこの三か寺を巡教するようになって、30年以上になります。檀家の方ともすっかり顔なじみになり、 七夕さんのように年に一度の逢瀬?を楽しみに待っていてくださいます。
今年もお招きいただき、小春日和の12日、まず宝土寺さんの「お十夜」から始まりました。山門からの眺めは抜群で、尾道水道を行き交う船や、向島の造船 所がすぐ間近に見えます。
住職の松岡史晃さんは、近くの持光寺の松岡昭禮師の次男で、昨年住職になったばかりの新進気鋭の若僧侶です。陶芸の腕前はプロはだしで、観音堂を改築 し、その一室にギャラリーを設けて誰でも気軽に作品を鑑賞できます。将来楽しみなお坊さんです。
宝土寺
の本堂と鐘楼
境内のお
地蔵さん
史晃
住職のギャラリー
観音堂のご
本尊
◆11月9日(水) 本山の降誕会に出勤
上人の名を善恵房証空といいます。法然上人の高弟の一人で、浄土宗西山派の派祖として念仏の教えを広める大きな功績のあったお坊様です。
西山派の本山である禪林寺では、毎年、11月9日の証空上人のお誕生日に「降誕会」という法要をつとめます。これに檀家の婦人4名と共にお参りしました。
法要の前にコーラス隊による歌唱指導があって、本堂一杯の参詣者と讃歌を歌い、やがて法主様を先頭に40名の僧侶が入堂し、法要が始まりました。
永観堂幼稚園の園児たちのかわいい唱歌や献灯・献花があり、90分の厳かな法要でした。春の御忌会と秋の降誕会、この二つの法要に出勤することが僧侶の 本務と心がけています。
参詣の善
男・善女
全員で詠
唱の奉納
茶店付近の
紅葉
三
割ほどの紅葉と多宝塔
◆10月30日(木) 障子の張替え
業者に頼めばいいのでしょうが、代々寺のものが作業する習慣なのです。結構きつい仕事です。
まず水にぬらして、ていねいに剥がしていきます。これをスポンジの束子できれいに洗います。古い糊を洗い落とすのです。これを乾かして、糊をつけて、障 子紙を貼っていきます。かなりの技術を要します。
孫たちがおもしろがって手伝ってくれるのですが、案外と役に立つのです。作業ははかどりませんがワイワイ騒ぎながらの障子貼りは、楽しいひとときです。
こうして、延べ四日かかって66枚の障子を貼り終えました。年のせいか、足腰が痛みます。
年寄りの鼻水、いや冷や水と笑われそうですね。
障子洗いの
作業
孫と障子貼り◆10月28日(火) 本山の臨時宗会へ
宗派の最高議決機関である宗会の議員に再選されて、本山に出向しました。
18名の議員のうち、再選4名・新任14名。和尚は議長に指名されました。
またこれから4年の任期を誠心誠意、勤めたいと思います。「愛山護法」が合言葉です。
◆10月26日(日) 神戸の来迎寺さんへ
秀明師の師匠の誠治師は、私より年長ですが、50年前に共に本山で水をかぶって修行した同行人です。
そういう親しさもあって会話がつきません。いつもその頃の思い出話に花が咲きます。
来迎寺は神戸の築島にあって、昔、平清盛が港を築いたところに建てられたという由緒あるお寺なのです。
山門を入るとすぐ右手に、小さな五輪塔が二基並んで建てられています。なんと、これが清盛の愛妾であった祇王・祇女の供養塔なのです。いきなり平家物語の 世界に迷い込んだような気分になりました。
神戸・来迎寺
祇王・
祇女の供養塔◆10月22日(水) 兵庫青年会48周年
和尚も昭和35年の結成の時からかかわり、第3代会長を10年余り勤めた関係で出席しました。
なぜ48という半端な周年なのかといえば、僧侶ならお分かりでしょうが、阿弥陀仏の本願の数が48あり、このため浄土門では50や100よりも48とい う数を大切にするのです。
午後3時30分。善導寺本堂において現役の青年僧12名によって「如法念仏」の法要が始まりました。
これは天台声明に源を発する勤行で、阿弥陀仏や諸仏諸菩薩を讃嘆する節つきのお経というもので、伝統的な仏教音楽なのです。ところが非常に節回しが難しい ために、近年はその一部分だけが唱えられていました。
今回それを全部復活させるという大胆な試みを、彼らは見事にやってのけたのです。1時間にわたる伽陀・礼文・念仏という声明は最後に節つきの念仏で最高 潮に達し、芸術性の高さにおいても感動的なものでした。
お経がこんなに美しく尊いものか。プロが聞いて、そう思うのです。
会長の大西秀明師はじめ、復刻の中心的な存在の猪沢良秀師、それにわが弟子の末吉信禮や下田英俊など青年僧の人たちの並々ならぬ意欲と努力に敬服しまし た。
改革を志すだけでなく、伝統を守り抜くという意欲も青年僧の使命であると思います。
善
導寺での青年僧の法要
善
導寺での青年僧の法要
◆10月10~12日 特別伝道隊、京都と愛知へ出動!
今回は10~12日の三日間で京都と愛知の五か寺を巡教する特別伝道隊に和尚も参加することになりました。
メンバーは法話を担当する者4名、勤行を担当する者11名、それに本山から鬼頭宗務総長、小沢財務部長、福井職員の合計18名が三日間行動を共にするこ ととなりました。
10月10日は午後2時から京都嵯峨野の福田寺さんが会所となって開催されました。
この寺の「最勝山福田寺」という名前は、無量寿経の中の「最勝福田」に由 来しています。浄土に住む菩薩は常に世の中の灯明となってもっとも勝れた福を与える、という意味があります。私たち布教に携わるものは人々に仏の教えを説 いて、心に勝れた福を与えよ、と門の山号額に諭されたように思いました。
まず司会の小林栄誠師が法要の概略を説明し、二人の説教師(近藤玄隆師・三輪恭明師)が15分ずつ法話をします。総長の挨拶があって、伽陀という声明で 勤行がはじまります。日頃の訓練が評価される
緊張の30分ですが、さすがに法事部のメンバーは統制のとれた見事な勤行でした。
そして最後は玄禮和尚の出番です。「念仏の三感王になりましょう!」とい うのが和尚の法話の結論です。
感恩・感動・感謝。これが念仏の三感王です。
こうして約二時間の法要が終わりました。参詣の檀信徒の方々は一様に満足の表情でしたから、まずまず成功、といえます。このプログラムは三日間の五か寺 とも同じです。
司会の小
林栄誠師
説
法中の近藤玄隆師(ジャニーズ系)
三輪
恭明師(吉本系)
中
西玄禮(松竹新喜劇系)三条通りに面しているのに、門を一歩入るとそこは静寂の浄域です。住職の奥垣内師は和尚と 同じ宗会議員仲間で、しかも法事部全体の部長ですから、今回の若手メンバーにとっては、一番おっかない親分です。
そのため非常に緊張感の漂う引き締まった 勤行となりました。
午後2時からは、三条大橋を西に渡ったところにある瑞泉寺さんです。
住職の中川師は永観堂幼稚園の園長をつとめられました。在任中に園の主要な設備を見 事に充実させた功績のある名園長でした。奥様と五年生の孫娘さんに抹茶の接待を受けて、いざ本番。
瑞泉寺は、秀吉に憎まれて高野山で切腹させられた関白秀次公の菩提寺で、秀次の子供と側室などの 一族39人が鴨川で公開処刑され、その霊を弔うために建てられた寺です。
凄惨な縁起を持った寺ですが、いまはビルに囲まれた中で、明るい清浄の気に満ちて いるのは住職はじめ寺族の方々の明るい人柄の性でしょう。
大蔵寺本堂
瑞泉寺本堂愛知県刈谷市の遊心寺さんが午前中の会所です。
「遊び心のある寺」とは何と良い名でしょうか。
実はこのお寺には15年前にご縁があって、五重会という浄土 宗独自の別時法要に招かれ、三日間お説教をさせてもらいました。この日の参詣者の中には、その時の受者が何人もおられました。
そのため和尚にとっては、大 変懐かしい思いがあります。
そして最後の会所は一宮市の常福寺さん。
住職の秋田師とは旧知の間柄ですが、お会いするのは本当にひさしぶりのことです。
本堂も庫裏も立派に新築され、 手入れの行き届いた美しい中庭を眺めて気合を入れ、気を引き締めて最後の説法を聞いていただきました。
遊心寺参
道と本堂
揃
いの法被で参詣(遊心寺)記念事業の一環ではあるけれど、宗派の歴史の中で、百か寺巡教という企画はかつてなかったことです。
地方の檀信徒の方々に念仏信仰を勧めるという啓発の目 的もさることながら、巡教に参加する若い僧侶の意識と技能を高める働きもしているのです。遠忌後の宗派の有用な人材が、確実に育っているのです。
常福寺
で最後の説法◆10月3日(金) 岐阜へ
3日に記念法要の岐阜大会がありました。昨年の兵庫・東京に続く3回めの地方大会です。
法話が2席あり、そのあと本山の小木曾管長を導師として法要が勤まります。
そして、古屋和子氏による琵琶語り「法然上人一代記」が演じられました。
会場をうずめた400人の聴衆は熱心に聞き入り、最後に全員で宗祖の遺言である「一枚起請文」を唱和しました。皆さんの満ち足りた表情に、この大会の盛 り上がりを感じました。
こうした催しは、わが宗派では未だかつて無かっただけに、この成功は3年後の大遠忌につながると思います。
小
木曾管長を導師に記念法要
琵
琶語りの古屋和子さん
◆10月1日(水) 京都の名園を訪ねる
梨木神社は御所のすぐ東にあり、萩の宮と呼ばれるように萩の名所です。花の盛りは過ぎていましたが、花はまだ残っていて、俳句や短歌の短冊が結ばれてい て風にゆれる様は風情がありました。
渉成園は東本願寺の別邸で、枳殻(からたち)の垣根があるので枳穀邸とも呼ばれています。京都駅から徒歩10分の近さにあるのに、意外と知られていな い、いわば観光の穴場です。
園内は実に広々としていて、変化に富んだ名園です。桜の春もよし、もみじの秋もよし、四季を通じて様々な花が迎えてくれます。
心に安らぎを感じる庭ですが、座る場所がないのが欠点ですね。一人で歩くには勿体ない庭でした。
でも、京都へ行く楽しみがまた一つ増えました。
梨木神
社の萩と短冊
同神社の紅
の萩
渉成園の石垣
園内の
建物・傍花閣◆9月25日(木) 長崎へ
伊丹空港を12時に発って1時には長崎空港に着きました。長崎の優良納税法人会の講演会に招かれたのです。
明星タクシーの川原社長に出迎えていただき、会場に向かう途中の平和公園に立ち寄ってもらいました。
爆心地に建てられた平和記念像は、彫刻家の北村西望氏の作で、空を指す右手は原爆の脅威を、水平に伸びた左手は世界の平和を、軽く閉じられたまぶたは原 爆犠牲者の冥福を祈っているといわれています。
この日、平和公園には熊本の小学生の一団が整列して平和の歌を合唱していました。そして三名の代表生徒が献花台に花束と折り鶴を捧げていました。私もそ の横で静かに合掌し読経いておりました。
この世に落とされた原爆というものがどんなに恐ろしいものか。人々だけでなく、鳥も虫も魚も家も学校も工場も、なにもかもが殺戮され破壊されたのです。
そして被爆者は今もなお、心身をむしばまれ苦しみ続けているのです。
会場の全日空ホテルのすぐ近くに、大浦天主堂があります。ステンドグラスが美しい、現存する日本最古の木造ゴシック様式の教会です。
講演まで時間があったので、僧衣姿のまま天主堂にお参りしました。
ノーモア・ヒロシマ。ノーモア・ナガサキ。
はからずも、このたびの広島・長崎の旅は、「平和と不戦」を考える慰霊の旅となりました。
献花
する熊本の小学生
平和記念
像の前で
大浦天主堂
グラバー邸◆9月23日(祝) 彼岸中日に広島へ
しかも市内の寺町にあって原爆のために焼失し、戦後、誓願寺さんは三滝に、慈仙寺さんは江波に移って再建され、今に至っています。
広島駅からタクシーに乗り、原爆ドームのある平和公園に立ち寄りました。爆心地に立ち、剥がれ落ちたレンガ壁のドームや、大きく茂った樹木を吹き渡る風 の音を聞いていると、新たな衝撃を受けます。
詩人の峠三吉さんの「原爆詩集」の中の一節、
「にんげんの にんげんのよのあるかぎり/ くずれぬへいわを/ へいわをかえせ」
という叫びが胸に迫ります。
いま世界には二万六千発の核兵器があるといいます。その一発が使われただけでも惨劇を生むのです。
ドームの前で読経していたら、観光に来ていた若者が数人、一緒に手を合わせてくれました。戦争を知らない彼らはどんな思い出手をあわせたのでしょうか。
三滝の誓願寺さんは毛利輝元の開基のお寺です。本堂と庫裏の間に、策伝庵という茶室があります。
醒酔笑という落語の原本の作者で、豊臣秀吉のお伽衆の一 人、安楽庵策伝によって作られた「八窓の茶室」を復元したものです。
策伝を偲んで年に一度、落語会を開催しておられます。
午後の慈仙寺さんは、海に近い江波の小高い丘の上にあります。住職の梶山仙順師は今年86歳。
本山禅林寺の小木曾管長とは中学の同期とか。
私にとって は、宗会議員の先輩です。跡取の謙治師は大学の後輩で、市役所勤務。孫の孝順・仙晃兄弟は本山の宗学院の教え子です。
親・子・孫三代揃って衣を身につけ本堂で勤行される姿は、どこでも見られる、というものでないだけに大変 感銘を受けました。
夕食をご馳走になり、誓願寺の広瀬隆慶師に駅までお見送りいただいて、平和であることの幸せを感じつつ広島を後にし帰路につきました。
原爆ドーム
平和公園
の慰霊碑
誓願寺の山門
茶室・
策伝庵の内部
慈
仙寺の孝順・仙晃兄弟
慈仙寺の本堂◆9月20日(土) 姫路南高校の体育大会に
同窓会の会長をしていると、いろんな機会に母校を訪問します。
今回は体育大会に招かれて出席しました。
秋空の下で楽しそうに演技・競走している現役の生徒たちを見ていると、気分は50年前にもどります。
当時は生徒会長でしたから、夏休みのころから役員みんなでプログラムを立案し、進行表を作成しました。
学校としては、生徒の自主性にまかせるという感じでした。
当日は本部のテントの中にいて、進行を見守るのが生徒会長の役目でした。応援合戦と地区対抗リレーが最も盛り上がり、全生徒が熱く なったものでした。
1時間ほどの参観でしたが、つかの間の「気分は青春」を楽しみました。
1
年生全員の「大縄跳び」
本部席で高下校長と◆9月3日(水)・12日(金) へその町・西脇へ
9月3日に市内の老人ホーム「楽寿園」さんの創立十周年の記念講演に招かれました。12日には市内の高齢者大学にも出講し、半月に二度も西脇にご縁をい ただきました。
以前、富良野に行った時、小学校の校庭に「へそ石」が置いてあり、ここが北海道のヘソである、と教えられました。二つの市はともにへその町として姉妹都 市となり、交流を深めているということです。
織物の町でしたが、不況の波を受けて活気がなくなった、と町の人はいいます。
唯一、西脇工業高校の駅伝での活躍が市民の心に勇気を与えているのです。
◆8月30日(土) 岐阜の立政寺へ出講
愛知・岐阜地方の教学講習会の講師として、30日に岐阜の立政寺さんに出講しました。
美濃の立政寺は、わが宗派では檀林という本山に次ぐ格式の寺です。
貫主の若園師は旧知の間柄で、実に気さくな方です。挨拶をして、やがて本堂で講義が始まりました。若い人たちを中心に約60名余の受 講者の皆さんは、実に熱心に聴講され、2時間があっというまに過ぎました。
この立政寺は、織田信長の映画やドラマに必ず出てきます。
妻の濃姫の父親である斉藤道三と若き信長が初めて対面する場所が、ここ立政寺です。後に信長は、室町幕府の最後の将軍である足利義昭を迎えたのもこの立政
寺でした。
濃尾地震で倒壊し昔日の面影は失っているというものの、宗派の檀林寺院としての機能を十分に果たしています。
岐阜の井上支所長様には大変お世話になりました。ありがとうございました。
立政寺の
本堂と玄関
岐阜立政寺での講義◆8月19日~9月4日 本山の宗学院へ出講
毎年お盆が終わると僧侶の研修期となります。
本山の禪林寺では、8月19日から約20日間の日程で宗学院が開講されます。得度を受けて僧になったばかりの雛僧が、一人前になる資 格を取得するための学校で、期間中は全寮制です。
朝6時の勤行から夜10時の座禅まで、みっちりと詰まった日程の中で、宗派の教義を学び、勤行をし、作務という掃除があり、三度の食 事の準備をします。特に朝食は自分たちで朝粥を作ります。
この研修を三年間受けてやっと一人前になるのです。
当初はやる気のない者も、三年過ぎると見事に変身。僧侶としての風格が身についてきます。
私は27歳の頃に講師となって以来40年。
一番最初に接した生徒(院生といいます)は、もう還暦近い年となり、宗派の中枢で活躍しています。今年の院生の中にも親子とも指導させてもらった、という
二代にわたるご縁も少なくありません。
若い院生の今後の成長が楽しみです。
授業風景
本山研修室の阿弥陀仏像◆8月15日(金) 網干の精霊流し
13日のお盆の入りから大覚寺の檀家は、家族みんなで盆灯篭を持ってお寺にお参りします。
多い家だと里帰りした人も一緒に十人ほどの家族が参ってこられます。午後4時ごろには本堂内は人であふれています。
みんなでお焼香したあと、本堂正面に設けられた燭台から持参した盆灯篭の火を移して家に持って帰ります。その火を仏壇のローソクに移し、みんなでお経を
読んだり、ご詠歌を唱えるのです。つまり「迎え火」なのです。
15日には、家族で手作りの精霊船に小さな提灯をたくさん飾りつけ、仏壇でお勤めしたあと、お供え物を積んで提灯にローソクの火をいれ、鉦を叩きながら
船を揖保川の堤防まで運びます。
夕闇せまる中を数十の精霊船が集まり、つぎつぎと川の中に浮かべられ流れていく様子は、まことに美しい。
こうして亡き人が再びお浄土へ帰っていくのです。
カンカンと打ち鳴らす鉦の音が次第に少なくなり、やがて川面に静寂がもどって今年のお盆が終わりました。
川面を行く二艘の精霊船◆8月10~15日 お盆は命の祭典
10日 10時からお盆の施餓鬼会を勤めました。
主に御津町・太子町の檀家の永代祠堂の施餓鬼で、早朝から墓参りも兼ねて大阪や神戸からも来られ、午前中だけで100人近い参詣がありました。
久しぶりにお会いする方もあり、ご挨拶したいのですが、法要中は導師席から離れるわけにいかず、お元気な姿を拝見して心中安堵しておりました。
午後は1時から大施餓鬼会と、主に地元の檀家各家の先祖先亡の回向をいたしました。
平均すれば一軒当たりの読経時間は短いのですが、一霊づつ集中して回向していると午後4時に終わるころには、かなり疲れます。
11日から地区ごとに分けて、お盆の棚経参りに出かけます。
一
年ぶりにお伺いする家、数年ぶりにお会いする人、特に子供たちの成長の早さに驚きます。亡くなられた人の回向に行くのですが、逆に、赤ちゃんが生まれて家
族が増えた家、この間まで学生だった娘さんが結婚して主人と里帰りしている家など、喜びに包まれた家を訪れるのは嬉しいものです。
ご先祖や亡くなられた方に見守られつつ、家族揃って喜びのお念仏を唱えることができれば、一番の幸せだとおもいます。
◆7月31日(木) 朝日新聞の記事になる
夏の甲子園・アルプス賛歌という企画記事の第1回に和尚が登場しました。
夏の高校野球全国大会で応援団長を務めた者が、その後どのような人生を歩いてきたか、という変わった企画に選ばれた7人の第1回に和 尚が紹介されたのです。
50年前の第40回大会で兵庫県代表となった姫路南高野球部は、大方の予想を裏切り、1回戦・2回戦を勝ち進み3回戦を和歌山の海南
高と対戦することになりました。
その日は8月15日。お盆の真っ最中です。いかに応援団長とはいえ寺に生まれた者にとって逃げも隠れもできない日です。
「甲子園を休んで、檀家参りをせよ」と父親がいいます。
「それは可哀想や。甲子園に生かせてやりなはれ」、と父親を説得してくれたのは、檀家総代だったとあとで知らされました。
そうや、甲子園に黒い衣を持っていこう! 根が単純なもので、檀家参りに行く姿で、甲子園にいったのです。
墨染めの衣を身にまとい、数珠を首にかけ、両手に日の丸の扇を持って華麗に三三七拍子を舞う小僧。
それはアルプススタンドでかなり目立つ姿であったと思います。
あれから50年。今、和尚は多くの人の人生の応援団でありたいと願っているのです。
和
尚、朝日の記事になる◆7月29日~8月7日 孫あり遠方より来る
新潟から飛行機に乗って、1年生の智寧(ともやす)が一人でやってきました。
早速、翌朝から特訓です。
6時に起床。本堂で読経。木魚を叩きながら、大きな声でお経を読む稽古です。
それが終わると犬の散歩。
前回、3月に来た時は怖くてさわることもできなかったのに、さすがに1年生になると多少の度胸がついたのか、
紐を持って川の土手までつれて歩きます。帰ってきたらドリルの勉強と読書。実に本の好きな子です。
1日に新潟から第2陣が到着。5歳の亮雅と3歳の優里(ゆうり)と母親の瑞恵。
近くに住む3人の孫をあわせると我が家はたちまち保育園状態になりました。それでもポニョの映画を見に行ったり、プールにいったり、夜の動物園へ行った
り、けっこう姫路での夏休みを楽しんでいました。
10日間の滞在中、智寧は 1、生まれて初めて海で泳いだ 2、ビート板を持ってプールでも泳げるようになった 3、自転車に乗れる
ようになった、等等。
孫の成長を喜ぶお爺でありました。
新舞子浜で智寧と亮雅
3人娘と6人の孫 全員集合◆7月22~24日 ふたたび北海道へ
日
本の最東端 納沙布岬 一ヶ月前は純粋に法務のみで、岩見沢と三笠の三か寺で法話のための渡道でした。今回、あくまでもプライベートで夏の北海道の自然に浸
る旅に出かけたのです。
ところが、釧路空港についてみれば、待ち受けていたのは細かい霧雨と16度の気温でした。
寒い! 姫路とは20度近い温度差です。こうして北海道自然探勝の旅が始まりました。
資料館の説明文を読みながら、いかに今まで無関心でいたか、痛烈に反省させられました。一日も早い返還を念じながら、国会への請願書に署名しました。
根室市内に宿泊して、二日目は風連湖(冬は白鳥の飛来地、今は丹頂の夫婦が子育て中)ー野付半島・トドワラを見て知床峠を経て知床五湖(一湖・二湖を散 策)--屈斜路湖畔温泉に宿泊。今回の旅のハイライトです。
野付半島は北海の天橋立といわれ、その先端に延びる砂嘴を埋め尽くす原生花園は見事です。
2km.余りの自然探勝路を片道30分かけて散策。ハマナスが群生して甘い香りを漂わせる中を、黄色のセンダイハギ、紫の緋扇アヤメなど、色鮮やかな花々 が咲き誇り、何ともいえぬ美しい風景でした。
ところがその先は、一転してトドワラの奇観が拡がります。
トドワラというのは、トドマツの森が海水に侵食されて、風化した白い朽木が横たわる野付独特の光景です。
雨もあがりました。
屈斜路湖のホテルの温泉で十分に旅の疲れをとり、翌朝、ホテルの裏の湖畔に出てみれば、湖面を渡る白い霧がゆるやかに晴れて、眼前に現れた景色は幽玄の 世界そのものでした。
今までなんども北海道を訪れたけれど、これほど美しい湖の夜明けの風景を見たことがありません。
幻想的な眺めに深く感動しました。
硫黄山と霧の摩周湖をめぐり、釧路湿原を経て、ふたたび釧路空港から伊丹に帰ってきましたが、三日の短期間に道東の美しい大地と、人手のまったく加わっ ていない自然に触れるすばらしい癒し旅でした。
野
付半島原生花園のハマナス
トドマツの墓場 トドワラ
知床五湖の第一湖
幻想的な屈斜路湖の朝◆7月11日(金) 宮内の徳寿院さんを訪問
8日の労音コンサートで偶然に徳寿院の多門文基ご住職夫妻にお会いして、11日に来てください、というお誘いを受けていたのです。
それで11時にお伺いすると、書院には20名の麗しい女性と4名のむくつけき男性のコーラス隊が歌の練習の真っ最中でした。徳寿院さんには「童謡の会」
というのがあって、その例会の日だったのです。
私も無理やり引っ張りこまれて、早速仲間に入れられました。曲目は「網干町歌」。
聞いてはいたのですが、歌うのは初めてです。山田耕作作曲・北原白秋作詞という歌謡界の大御所の手になる輝かしい町歌なのですが、いつのまにか忘れられて
いたのです。
最近、若い女性デュオが発掘して新しいアレンジでCDに発表して以来、見直されてきました。何度か練習するうちに、私もすっかり乗ってしまいまして、皆
さんと声をそろえて歌えるようになりました。
そして、本番。なんとCDに録音して「徳寿院版」を製作するという企画だったのです。冷や汗が出ました。
後日、多門住職さんから「みなさんも大変喜ばれていましたよ」という礼状をいただきました。
ありがとう。楽しかったですよ。
徳
寿院「童謡の会」の皆さま◆7月8日(火) 普天間かおりコンサート
夫婦で労音の会員です。今月の例会は普天間かおりさんのコンサートが姫路文化センター小ホールでありました。
彼女は以前NHKの金曜時代劇「蝉しぐれ」の主題歌「遥かな愛・・」を歌っていて、清潔な歌いぶりに好感を持っていました。
73年9月、琉球王朝の流れに生まれた彼女は、シンガーソングライターとしてライブを中心に活動しています。
自身のルーツである沖縄音楽を繊細に、時には雄大に歌い上げ、聞くものの心にしみこみます。特に「掴めないもの」「守りたいもの」の二曲は胸に染入る歌で
した。
トークの中で「イチャリバ・キョーデー」という沖縄の言葉を教えてくれました。「出会ったら兄弟」。良い縁を
大事にしよう、という意味の言葉です。感動的なコンサートでした。
普
天間かおりさん◆7月4日(金) 大工の卵たち来る!
今、檀信徒会館を西嶋工務店に建ててもらっています。西嶋社長の紹介で、木造建築の職人を養成する専門学校の生徒たちが二十数名、当
寺を訪れました。
建設現場で本職の大工さんから、道具の種類や使い方、梁や桁などの組み方などを実際に指導してもらうのです。
丹波市青垣町にある修成建設専門学校で学ぶ彼らは、熱心に聴いていましたが、和尚も一言を、と要請されて「技術を磨くと同時に、大工という仕事を好きに
なれ」と提言。
一人だけ女生徒がいたので、なぜこの道を志したのか尋ねたら、父親が建設業なので同じ仕事をしたいから、という返事でした。
あせるな。くさるな。なまけるな。がんばれ大工の卵たち!
大
工の卵たち◆6月20~22日 北海道布教の旅
昨年7月に法然上人大遠忌のお待ち受け法要の説教師として、北海道6か寺を巡教して 1年がたち、今年は岩見沢の善光寺・法然寺・三笠市の善導寺の三か寺からお招きを受け ました。
6月20日神戸空港を発って夜7時半に岩見沢に到着。三か寺の若いご住職に歓迎の食事会 を設けていただきました。北海道ならではの豪華な料理に舌鼓をうちながら、話は今後の 宗門や寺院のあり方に及んで、三人の真摯で誠実な姿勢に打たれながら時のたつのも忘れ て語りあいました。
翌21日、午前10時より善光寺(大久保瑞昭師住職)で法要のあと1時間の説教。
現住
職の父であり師匠の泰昭師は、本山で加行という僧になるための修行を一緒に受けた仲間です。同
行人というのは特別の思い入れがあって、同期の桜という感覚に近いと思います。50年た
っても変わらぬ親しさで接してもらえるのは嬉しいことです。
午後1時から法然寺(渡邉晋道住職)で法要と説教。ここは岩見沢市の中心部にあり、
法要も渡邉住職のアイデアが随所に見受けられました。
参拝の人々と共に読んでわかりや
すい独自の工夫がなされた経典を用いた法要は、都会的な雰囲気があ
りました。
法要のあと30分のティータイムがあり、用意されたお抹茶、コーヒー、紅茶などとお菓子
をいただきながら、アンケートに答えていくという斬新な試みもありました。
夜6時からの三笠の善導寺(大久保泰聡師住職)では、夏至の暮れなずむ薄暮のなかの
念仏行道で始まりました。
住職から手渡された灯火を、参詣者すべて大人も子供も手に持
ってお念仏しつつ行道し、仏前に献灯するのです。夜の法要ならではの荘厳な雰囲気の中
で気分よく法話をさせてもらいました。
三か寺とも、それぞれに若い住職ならではの創意工夫がなされ、秋のお十夜とは別の、
新しい法要を6月に勤めようとする熱意が感じられました。
その第1回の「夏至法要」に
お招きいただいたことを嬉しく思うとともに、これが定着し参加寺院が増えていくことを
切に願いつつ、翌朝、大久保泰昭師に送られて、北海道をあとにしました。
また行くよ!
善
光寺さんの寺族と
法
然寺さんの寺族と
善導寺の献灯会◆6月18日(水) 本山の宗会で論戦?
市や県に市会・県会があるように、宗派にも宗会があり、その議員をつとめています。
6月18日、本山で宗会が開催され出席しました。開会式が釈尊を本尊とする釈迦堂であり、全員で読経のあと管長のお言葉をいただく、というのがいかにも宗
派の議会らしいですね。
今回は19年度の決算についての審議が中心で激しい論戦はありませんでしたが、特筆すべきことは「わたしたちの信条」が正式に制定
されたことです。
「私たちは、阿弥陀さまに帰依し、そのお慈悲を深く信じ、悦びのお念仏を称えます。私たちは、佛さまのみ教えを、くらしの中に生かし、人々と和合し社会
に貢献します。」
この信条が、これからお勤めの前にみんなで唱和することになります。
提案した者として嬉しいことです。
そして4年の任期が終わりました。
兵
庫県選出の議員(左)観音寺 藤本顕禮師
(中)浄福寺 勝山淳明師
◆6月15日(日) わが青春の甲子園
今、姫路の歴史博物館で「夏・甲子園」が開催されています。夏の全国高校野球大会が今年で90回を迎えるので、その特別展です。
50年前の第40回大会で、わが母校・姫路南高が県大会で優勝し甲子園に出場した時、当時三年生で生徒会長だった和尚は、にわかじたての応援団長となり
ました。
折しもお盆のまっ最中。檀家参りを手伝えという父親を、「それは可哀相や」と檀家総代が説得してくれて、若き和尚は墨染の衣に身を包み、団長として颯爽
とアルプススタンドに勇姿を見せたのです。
和尚の必死の祈りもむなしく3回戦で敗退しましたが、燃えつきたあとに爽やかな達成感が残りました。
昭和33年
の夏の思い出です。
(この特別展は7月27日まで)
会
場の出口付近で
40
回大会の入場式◆6月12日(木) 京都永観堂で
仏教を人々にどのように伝えるか、を学ぶ一泊二日の研修会(布教講究所)に所長として出講しました。秋葉原の無
差別殺傷事件の後でもあったので、「命の尊厳」ということが今回の大きなテーマとなりました。
受講生の中で、京都の岸野亮哉君は僧侶でありカメラマンとしてスリランカなど世界各地を取材いているジャーナリ
ストです。
彼は今、ミャンマーで取材中に殺害された長井健司さんと生前に親交があった関係で、事件の直後からミ
ャンマー政府に抗議のため四条大橋等の街頭に立って、ビデオカメラやテープの返却を求める運動に取り組んでいま
す。
宗教者の立場で平和運動に取り組む彼のような青年僧がいる、ということに大変心強いものを感じました。
布
教の講義風景
写真家でもある岸野亮哉師◆6月11日(水) 舞子ビラホテルで
兵庫県の真言宗のお寺の奥様(寺庭婦人)の会に講演のお招きを頂きました。明石海峡と大橋の見える、すばらしい
会場で60人の麗しい女性ばかりを前にして、まことに気分よくお話させていただきました。
7日の広畑婦人会でもそ
うでしたが、女性ばかりの会というのは泣いたり笑ったり実に反応がいいのです。
お寺の奥さんは時には住職以上に
重要な役割を担っています。寺を訪れる檀家の方の愚痴や悩みを聞かせてもらう。それだけでも立派な「聞施」と言
えるのです。
◆6月1日(日) 播磨の清水寺へ
西国第二十五番観音霊場の播州清水寺は、加東市の東条湖の北・御嶽山の上にあります。朱塗りの仁王門をくぐり、 新緑に包まれた参道を登ると、赤い石楠花やあじさいが参拝者を迎えてくれます。大講堂にお参りし、受付でカレン ダーを一部買い求めました。作者の荒了寛(あら・りょうかん)師は天台宗のハワイ開教総長を勤められ、また画僧 としても有名な高僧です。新緑と薫風のなかを歩きながら、天地自然の恩に生かされている有難さを感じつつ、山を 下りました。
播磨の清水寺 仁王門
荒了寛師の言葉と絵◆5月5日(祝) 花まつり
網干仏教会主催の「花まつり」が今年も盛大に挙行された。今にも振りそうな雨模様の中、8時に花御堂を背に乗せた白象が大覚寺を出発 して、網干の各町のこども会にリレーされ、花まつり行進曲と共に一巡しました。ボーイスカウトの隊員が先導して、行進に参加した親子は延べ700人を超え ます。戦前から続くふるさと行事です。
午後は本柳寺さんで法要と講演会。講師はレクリエーションの指導者岡部秀夫氏。親子での楽しいゲーム大会に盛り上がりました。 大覚寺では、住職がこども達に童話とゲームをしました。七か寺で花御堂のお釈迦さまに甘茶を潅ぎ、各寺でスタンプを押してもらうラリーも多くの親子が参加 しました。
花まつり母の背ぬくし風甘し - 楠本 憲吉 -
お釈迦さまに甘茶を灌ぐ子供た
ち
網干のまちを白象が行く◆4月28~30日 五重相伝という法縁
愛知県津島市の宝泉寺さんで「五重相伝会」が開筵され、伝灯師をつとめさせていただく。五重相伝は浄土宗特有の法会で、五つの段階に
分けて法然上人の教えが説かれます。伝灯師というのは法要全体の導師で、この法会を受ける人々(受者)と阿弥陀佛との血縁を結ぶ大切な役目です。リンク集
の中の「宝泉寺」にアクセスして下されば詳しく報告されていますのでご覧下さい。宝泉寺さんでは、平成元年の「五重会」平成3年の「授戒会」に続いて三度
目のご縁で、勧戒師・説戒師という説教の役目とこのたびの伝灯師の三つの役を、二十年の間に一つのお寺でつとめられたのは実に有難い法縁です。
受者を代表して懺悔文を読まれ
る
五重会のハイライト、面相の十
念◆4月20日(日) 千種念仏のこと
宍粟市千草の西蓮寺さんの「千種念仏」法要で説教。ここは賀古の教信上人の終焉の地と言い伝えられ、毎年4月の第3日曜日に町を挙げ ておまつりされる。教信上人は奈良時代末の生まれで興福寺にて出家し、後に加古川のほとりに妻子と共に住み、労働をしながら口称念仏に明け暮れたといわ れ、その非僧非俗の生涯は、親鸞・一遍など後世の念仏者に大きな影響を与えた人です。滅後千百年余りの今日なお人々に慕われ続けることを実に尊く思いま す。
◆4月14日(月) 京都からお客さま
京都市上鳥羽の浄禅寺・林田住職と檀信徒、計23名の方々が来寺下さる。一昨年11月にお十夜のお説教にお招きいただき、そのご縁で バスを貸し切っての参拝旅行。本堂で法楽一会のあと約60分間の法話を熱心に聴聞下さる。一度の出逢いが更に法縁となって深まることを有難く思います。
京都浄禅寺 檀信徒の皆さま
浄
土宗西山禅林寺派 鶴立山 大覚寺