大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2008年(平成20年)11月のミニミニ法話・お説教

2008年(平成20年)11月

玄禮和尚のお説法

2008年(平成20年)11月

~ 第008回 「ふるさとに契りし友に」 ~

 京都、紫野大徳寺の開山・大燈国師は揖保郡太子町のお生まれです。
その大燈国師のことば
「億劫相別れて、しかも須臾(しゅゆ)も離れず、 尽日相対して、しかも刹那も対せず」

たとえ離ればなれになっていても、こころは少しの間も離れていない、という人がいるかと思えば一日中会っていても、心は一つも通じ合っていない者もいる、 という意味です。

 釈尊の弟子の阿難は、いつも師匠に仕えていながら、なかなか悟れなかったのですが、ある日、釈尊の顔をパッとみた途端、そのお顔が光輝いているのを見て 思わずニコッと微笑んだのです。
それが釈尊の目にとまって心が通じ合い、とうとう阿難は一人前の弟子になりました。

 人と人の心が、たとえ言葉を交わさなくてもピタッと一致して、気持ちが通じ合うということがあります。
  
 釈尊は入滅されるとき、阿難にこういいのこされました。
「わたしの肉体は滅んでも、わたしの教えは汝の心に生きているではないか。だから決して寂しがることはないのだ」
 こういう関係を「億劫相別れて、しかも須臾も離れず」というのです。

 その反対に、立派な先生や友人、家族のそばに長年寄り添っていても、心が少しも通じあわないという人もいますね。

 法然上人のお歌に
「生まれては まず思いでんふるさとに 契りし友の深きまことを」というすてきな歌があります。

「私がお浄土に生まれていったとき、かならずまたお浄土で再会しようと約束したあなたの、深いまごころを思い出しますよ」という意味です。

 念仏の信仰に結ばれたものは必ず浄土でまた会えるという絆の深さを歌われています。
「億劫相別れて、しかも須臾も離れず」という出会いを、私たちも大切にしたいですね。
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