大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2008年(平成20年)6月のミニミニ法話・お説教

2008年(平成20年) 6月

玄禮和尚のお説法

2008年(平成20年) 6月

~ 第003回 「はるかなる呼び声」 ~

【問題】 阿弥陀経の中に「舎利弗」の名が何回出てくるでしょう?
 
 正解は38回。
 それも最初と最後を除く36回はすべて、「舎利弗よ!」という呼びかけです。1250人の聴衆を前に、ひたすら長老の舎利弗の名を呼びかけながら説法さ れるのです。舎利弗は、その間一度も答えることなく、問いかけることもなく、ひたすら聴くのみでした。
多くの経典が釈尊と弟子たちとの問答形式で成り立っているのに対して、阿弥陀経は問う人がなく、仏自ら説き進められた珍しい経典です。これを「問答自説の 経」と呼んでいます。

 仏弟子中の第一人者であり、「知恵第一」と言われていた舎利弗は、サンスクリット語でシャーリプトラ。
母の名をシャーリーカといい、母とよく似ていたのでシャーリーの子(プトラ)という意味でシャーリープトラと呼ばれていたといいます。
阿弥陀経の訳者である鳩摩羅什(クマラジュウ)は「舎利弗」と音訳し、般若心経の訳者である玄奘三蔵は「舎利子」と意訳しています。

 師の釈尊よりも年長で信頼も厚く、教団の後継者と目されていたのですが、釈尊入滅の前に病を得て没したといわれています。
釈尊が出世本懐の教えを説くに当たって、ひとえに舎利弗一人に呼びかけ説かれたのは、この経典を託する者として彼ほど適切な弟子はいないと思われたからに 違いありません。
 しかし、『仏、われ一人のために法を説きたもう』と大智度論にあるように、この法門は私のために仏が自ら問い、自ら答えておられると解したいものです。

 それにしても、母親似であったという舎利弗が、師の釈尊から何度も何度も「舎利弗よ!」と幼な名で呼びかけられる気持はどうだったのでしょうか。

 民俗学者の柳田国男さんが、貴族院書記官長となって故郷の福崎町に帰ってきたときに詠んだ歌があります。
『をさな名を人に呼ばるるふるさとは 昔にかえるここちこそすれ』

 この歌のように、おそらく泣きたいほど嬉しかったに違いないと思われるのです。

 阿弥陀仏は常に「わが名を呼べ!」と私たちに呼びかけ続けておられます。
その呼び声に対する答えが「南無阿弥陀仏」なのです。
母の呼び声に「お母さん!」と答えるように。

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