大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2012年(平成24年)11月のミニミニ法話・お説教

2012年(平成24年)11月

玄禮和尚のお説法

2012年(平成24年)11月

~ 第056回 「露の世は露の世ながら」 ~

 11月19日は「一茶忌」。江戸時代後期の俳人・小林一茶が65歳で亡くなった日です。

農家や貧しい庶民の暮らしを数多く俳句に詠みました。その数、二万句に及ぶといわれています。けれど、一茶の生涯は意外なほど不幸続きだったのですね。

 3歳のとき母が亡くなり、9歳で新しい母を迎えたものの、気が合わないのかひどく苛められ、15歳の春、江戸へ奉公に出されます。やがて、故郷へ初めて 帰ってきたのは29歳。

けれど翌年、信心深かった父の代参で関西・四国・九州への旅に出ます。こうして、一茶の長い遍歴の旅が続くのです。

   これがまあ ついの栖(すみか)か雪五尺

 やっと安らぎの場を得たのは52歳。28歳のきくを嫁に迎え、次々に生まれてきた4人の子どもたちは皆、幼くして亡くなり、妻きくも38歳で病死しま す。

再婚したものの、すぐに離別という不幸が続き、結局ひとりぼっちになってしまいます。家庭的に恵まれず、人生のあらゆる苦労をなめつくしたのでした。

 文政10年(1827)6月1日、北国街道の柏原宿の大半を焼く大火に遭遇し、住んでいた母屋を失った一茶は、焼け残りの土蔵に移り住み、この年の11 月19日に65歳の生涯を閉じたのです。ですから、

   めでたさも中位なりおらが春

 こんな心境になれた年月は、とても短かったのです。そんな一茶だからこそ

   痩せがえる負けるな一茶これにあり

   われと来て遊べや親のない雀

   やれ打つな蝿が手をすり足をする

など、小さな生き物たちにも愛情の眼差しが行き届いていたのだと思います。
中でも特に心打たれる句があります。

   露の世は露の世ながら さりながら

長女さとが疱瘡で死んだ時に詠んだ句です。信心深い一茶でしたから、この世は露のようにはかないものだと知ってはいても、それでもやはりあきらめ切れない 親心がにじみ出た句です。亡き子を思う親の切なさが胸を打ちます。

 「生きとし生けるものに慈愛なきもの、かかる者は卑しき人と知るべし」
経典の一節です。

「慈しみのこころがあるからこそ、人間なんだよ」
一茶の俳句を読んでいると、そんなことを教えられるのです。

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