大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2012年(平成24年)4月のミニミニ法話・お説教

2012年(平成24年)4月

玄禮和尚のお説法

2012年(平成24年)4月

~ 第049回 「恨みを捨てよ」 ~

 四月八日はお釈迦さまの誕生日で、「花まつり」といいます。では、四月七日は何の日でしょう?

法然上人のお誕生の日です。長承2年、今から879年前に岡山県の美作でお生まれになりました。幼名は勢至丸。

父は土地の豪族・漆間時国(うるまのときく に)といい、地方の治安を守る警察の機動隊長のような役人でした。が、都から派遣されてきた明石定明という豪族に襲われて、非業の最期を遂げます。

勢至丸9歳の春でした。  物陰から矢を放って相手に手傷を負わせましたが、一族郎党すべて討ち死にするという悲惨な結末でした。

 今わの際に父は勢至丸に、こう言い残しました。

「仇を討ってはならぬ。お前が恨みを晴らせば、残された彼の子供もお前を怨みに思うだろう。仇討ちに果てしがない。恨み心を捨てよ。出家して我が菩提を弔 い、恨み心のない安らぎの心を手にいれよ」

 この遺言が勢至丸の生涯に大きな影響を与えたのです。
比叡山に登り、十五歳で出家して戒を受け、法然房源空と名乗りました。

叡山では知恵第一、文殊菩薩 の生まれ変わりといわれるような秀才でしたが、学問や知識を深めるほど、安らぎの道から遠ざかるため、苦しみは増すばかりでした。

 九歳で一家に降りかかった夜討ちによって、いわば犯罪被害者となった法然上人は、以後24歳で保元の乱、27歳で平治の乱が興り、驕る平家の栄華と滅亡 を目の当たりにするばかりでなく、戦乱のほかに飢饉、大火、地震、台風など時代が音をたてて崩れていくのを身をもって体験したのです。

末法乱世の地獄のよ うな苦しみに喘ぐ人々を見て、「安らぎの心」がどこにあるのか。

「かなしきかな、かなしきかな。いかがせん、いかがせん」 青年法然房の悲痛な叫びです。

 やがて43歳。ついに浄土門の教えを開きます。南無阿弥陀仏をひたすら称えれば、人は皆、安らぎの心を恵まれるという他力の教えです。

魂の長い遍歴を経 て、求道者法然房は救済者法然上人となったのです。

その道程にはいつも、父親の「恨みを捨てよ。安らぎを求めよ」の遺言が心に刻まれて忘れることがなかった、と述べられてい ます。

法然上人の専修念仏の思想の原点に、父の遺言があったことは忘れてはならぬと思うのです。
 
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