今月の法話

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

弟子のひとりごと ~末吉信禮~


2009年(平成21年) 2月

~ 第005回 「代わりにできること」 ~

 2ヵ月ほど前に危うく交通事故に遭いかけました。

 それはオートバイでお参りの途中、交差点で反対車線の右折待機のトラックが、どう考えてもぶつかるタイミングで強引な右折をしてきました。左に避けながらの急ブレーキで接触寸前。

結果接触しなかったものの左に転倒。左背中と側頭部を強打し、左足の上にバイクが倒れ挟まれました。トラックは一旦停まりましたが素知らぬ振りで逃走しました。

法衣を着ている効力か、交差点のいたる所からおっちゃんやおばちゃん達が車から降りて来て助けてくれました。(私を助けて下さった皆様、本当にありがとうございました。)

病院で診察の結果、左足は捻挫と打撲で済みましたが、背中が思った以上に重症で肩甲骨を支える深部の筋肉群の筋繊維の断裂(いわゆる肉離れ)で全治1ヵ月。

頭がヘルメットのおかげで助かったのと骨折がなかったのが不幸中の幸いでしたが、本当に命拾いをしました。

 そのことを知ったある檀家さんが、
「ほんま災難やったねえ、でもあんまり怒ったらあかんよ。そのトラックは絶対罰が当たるから。」
と慰めてくださった時、あることに気づいたのです。

「そういえば、今回怒ってないわ…」と、逃げたトラックに対してほとんど怒りの気持ちがなかったのです。
常日頃抑えるように心掛けているものの子供の頃から短気な私、なぜなんだろうと考えますと、周りの人達が代わりに怒ってくれているからです。

私が怒りを感じる前に、おっちゃんもおばちゃんも逃げたトラックに怒り心頭で、
「なんで逃げるの!信じられへん!」とか「降りてきて助けんかい!」など、私の代わりにぶちまけてくれました。
おかげで私は、助けて下さった方々への感謝の気持ちしか残らなかったのです。

 地蔵菩薩は信者の苦を代わって受ける性格から、またの名を代受苦菩薩とも呼ばれます。身代わり地蔵はその代表的なもので、他にも戦場で危難を救ってくれる勝軍地蔵・六道をめぐり十の福徳を人々に与える延命地蔵・片目地蔵・首無し地蔵などもそうです。

 私たち人間はお地蔵さまのように代受苦とはいきませんが、今回のように代わりに怒ることや一緒になって怒ること、代わりに悲しむことはできませんが一緒になって悲しむこと、一緒になって恥をかいたり代わりに恥をかくことはできると思います。

そこには人として大切な思いやりや仏さまの同悲心があるのです。そしてその後には感謝の心が残っていくのではないでしょうか。


…そういえば、こんなことも思い出しました。
子供の頃、台所で手が離せない母がテレビを見ている私に、

「おしっこ行きたいけど手ぇ離されへんからあんた代わりに行ってきて…」
と全く医学的根拠のない頼みをしていました。

代わりにトイレでおしっこを済ませ、「してきたけど大丈夫なん?」と尋ねると、
「これでしばらく大丈夫。楽になったわ、ありがとう。」

と笑顔で返され、母の役に立ったうれしさで当初の疑問も吹っ飛び、代わりにおしっこをするということが私の家では当たり前になりました。特に母の時は、兄弟で競って代わりにトイレにいったもん勝ちといった具合でした。(笑)



法話一覧へ