大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2013年(平成25年)4月のミニミニ法話・お説教

2013年(平成25年)4月

玄禮和尚のお説法

2013年(平成25年)4月

~ 第061回 「命なりけり」 ~

 春ごとに花のさかりはありなめど あい見んことは命なりけり

春らんまん。もちろん彩りの主役は満開の桜。京都では、今年は平年より一週間早く開花宣言があり、四月になっていよいよ「都ぞ春の錦なりけり」という風情 になりました。

あなたは今年の桜を、どこでご覧になるのでしょうか。

 桜は「咲く・ら」の意味だといわれています。「ら」というのは親しみを込めた言い方であり、群がった様子を表している、という説があります。

いずれにしても、枝一杯に花をつける華やかな感じが、そのまま名前になったのでしょう。

 咲きはじめ、まだ赤みの強い頃はいかにも初々しくて、入学や就職をひかえて希望に燃えている若者によく似合います。

目を近づければ花びらは五枚、その一枚一枚の先端は鋏でも入れたようにチョコンと切れています。

「あれはね、夜中に植木屋さんが一枚一枚ていねいに鋏で切れ込みを入れているんだよ」といったら、「へ~、すごい!」と感動していた女性がいました。

少しの力では抜けないくらい、しっかりしているのに、やがて満開を過ぎるとハラハラと舞い落ちて散っていくからこそ、咲く花がより輝いて見えます。

 ところで冒頭の歌は「古今集・春下」にあり「詠み人知らず」です。

「春ごとに桜の花盛りはあるだろうけれど、それを目の当たりにできるかどうかは、我が命あればこそ」。今年も桜に出会えたことに、生きている喜びを歌って いるのです。

確かに、70歳を過ぎると「こうして眺められるのは、あと何年、あと何回あるだろう」という思いが脳裏をかすめます。もしかすると「はたして、来年の花 は?」と思う人もあるでしょうね。

 「花を美しいと思う心の底には、お互いの命を慈しみ、地上の短い存在のうちに巡りあった喜びが、無意識のうちにも感じられているに違いない」 東山魁夷 画伯の言葉です。

 確かに、私たちは短い人生の中でこうして巡りあったことの喜びを感じなくてはいけないのです。

そして、毎日が一日限りの人生の連続ですから、自分に与えられた、たった一瞬の「いのち」を、決して粗末にはできないのです。


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