大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2015年(平成27年)10月のミニミニ法話・お説教

2015年(平成27年)10月

玄禮和尚のお説法

2015年(平成27年)10月

~ 第091回 「こころの触れ合い」 ~

 10月は「体育の日」があり、各地の学校では運動会・体育大会が開かれます。走ることが苦手であった私も、運動会は楽しみな行事 の一つでした。

 以前、ある小学校の校長先生から、こんな話を聞いたことがあります。

「うちの学校の運動会で、二人一組になってお互いにおんぶし合いながらゴールインするという競技をしたところ、おんぶされるのが嫌いな子供が何人かいまし た。手をつっぱって、おんぶを拒否するのです。」

 おんぶ、というのは人間の基本的な動作の一つです。それを拒否するというのは、どういうことでしょう。

おんぶというのは、人が人を背負うことです。親が子を背負い、姉が妹を背負い、老いた親を子が背負うこともあります。私にも、幼い頃に母の背におぶさっ て、温かみと安心感を覚えた感覚が潜在記憶として刻まれています。

 母親が帯で子供を背負う姿は、昔は普通に見かけました。子供は背負われて育ったのです。もっとも安全で楽な母と子の移動の方法でした。

冬の寒い頃には「ねんねこ」という防寒用の「どてら」のようなものを羽織っていました。

「ねんねこの中の寝息を覗かるる」(稲畑汀子)という俳句もありますが、最近、これをほとんど見かけることがありません。

 赤ん坊はベビーカーや自動車のベビーシートにいます。器具を使って背中合わせに背負っている親もあります。これは、おんぶでなくて子供を運搬しているの ですね。

 かつて、おんぶは子育ての原点でした。スキンシップの原点でした。子供は母親の背で、スヤスヤと眠りました。

山口百恵さんが歌っていた『いい日旅立ち』の中にも「母の背中で聞いた歌を道連れに」という歌詞があります。お互いのぬくもりのなかで、母と子の絆が作ら れていったのです。

おんぶできない子は、おんぶされた経験がなくて接触を嫌うといわれます。そんな子が現実にいるんですね。そして、親もまた子供と触れ合いたくなくて、距離 を置いて育てているらしいのです。

スキンシップがなければ、心の触れ合いも少なくなります。絆も生まれません。思いやりに欠ける人間になりはしないでしょうか。

触れ合い・・・これも大事な「愛」なのです。

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