大覚寺のご紹介

人生を健やかに生きていくための説法を
毎月、御紹介していきたいと思います。

2015年(平成27年)7月のミニミニ法話・お説教

2015年(平成27年)7月

玄禮和尚のお説法

2015年(平成27年)7月

~ 第088回 「慈 眼 施」 ~

 宮澤賢治が岩手県花巻の農学校の先生をしていたころ、盗み癖が村中に知れ渡っている子どもと、畑でばったり顔を合わせました。

<またなにか盗んでいる>と気付きましたが、先生は怒鳴ることをしないで、その子の眼をじーっと見つめました。無言の対決!

やがて、その子は盗んだものを置いて、ピョコンと礼をして走りさっていきました。そして、それ以来、二度と盗みをしなくなったといいます。

 親も手をやき、肩身を狭くしていた悪い癖。「あの子は悪い子や。あの子と付き合ったらいかん。あの子は非行少年や」。

たしかに、そう言われても仕方のない少年だったのでしょうが、周囲からそんな目で見られ、余計に盗み癖に走らせたのでしょう。

その「いけないこと」を宮澤先生は眼で諭したのです。詩人・宮澤賢治の顔は穏やかで、眼も澄んでいたのに違いありません。

怒った顔で、きつい眼で睨みつけていたら、さらに反抗心をあおったはずです。

 こどもの心をよく理解していなければ出来ないことで、『銀河鉄道の夜』や『風の又三郎』などの名作童話を書いた宮澤賢治の優しさが、よく伝わってくるエピソードです。

人の心は顔に現れるといいます。ことに「眼は口ほどにものをいい」といいますから、口の代訳をする眼は正直なのですね。

 釈尊の教えの中に「無財の七施」というのがあって、財産がなくても人に与えることができる七つの事柄の中に、『慈眼施』(じげんせ)というのがあります。

慈しみのこもった、相手を思いやる優しい眼差し、という意味です。

 『観音経』の中に「慈眼をもって衆生を視そなわし給う」という言葉がありますが、実は永観堂の御本尊である「みかえり阿弥陀佛」こそ、慈眼視そのものなのです。

立ち止り、振り返られた眼差しは、慈しみにあふれています。遅れてくるもの、立ちあがることもできぬほど生きることに疲れ果てたもの、前に回って正面から拝むことさえできぬもの・・・・。

そういう弱いものを見捨てることなく、永遠に見返り、慈悲の眼差しで見つめ続けておられるのです。心が疲れたとき、是非一度お参りください。

そして私たちも、人に向かっては温かい眼差しで接することのできる人でありたいものです。
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