今月の寺宝

ここでは大覚寺に伝わります
絵画・文書類を中心に御紹介していきたいと思います。

出山釈迦図


絹本著色 一幅  94.7×40.3 元時代(十四世紀) 伝顔輝筆 

 
 釈迦が出家して六年間の苦行の末、その無益を悟って山を下るという仏伝の一場面で、主に禅宗で水墨画題として好まれた。

元代前半の著名な道釈人物画家、顔輝(ガンキ)筆と伝えられる。

 朱衣を偏袒右肩につける釈迦は、金色の肉髻をみせ、濃いひげと長髪を有し、臂釧・耳鐶をつけ、後方を見ながら歩行する。

 肉身の朱隈・面相・手足の細密な体毛描写は陰影に富む実在感を表出しながら、勢いよく左眉から出る光気が超俗的な幻想感を誘う。

逆に、密に重ねた金泥の衣文は面を意識せず独特の造形感覚をみせる。

 面相のニュアンス・着衣の装飾法を違えるが、同一図像による三重・西来寺本(室町初め頃の転写本か)がある。
 


■寺宝よもやま話■  ― 出山の釈迦 ― 


 王子として生まれた釈迦は、なに不自由のない生活を送っていましたが、成長するにしたがって人生の問題に深く悩むようになりました。

 29歳のとき、ついに出家を決意して求道の旅にでます。インドで古くから行われていたあらゆる苦行を、山の中に入って修行します。

 それは想像を絶する激しいものでした。こうして六年の苦行が続き、髪や髭は伸び、体は骨と皮の状態になりました。

 身を苦しめることの無意味さを知った釈迦は、ついに山を下ります。このときの釈迦のすがたをあらわしたのが「出山の釈迦像」です。

 ただ、当寺の像は、プロレスラーのように筋骨隆々として、とてもたくましく見えます。

 山から下りて尼蓮禪河で体を清め、スジャータという村の娘からミルク粥の布施を受けます。それを食べて元気を取り戻した姿を現しているのかもしれません。

 体力を回復した釈迦は、菩提樹の下に静かに座禅を組んで、やがて悟りを開きます。釈尊35歳の12月8日の朝でした。

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